月ノ美兎の"アングラkawaii"?? 魅力
『ME!ME!ME!』という曲に出会う。
最近公開されたホロライブ所属・宝鐘マリンのオリジナル曲『I'm your treasure box *あなたは マリンせんちょうを たからばこからみつけた。』のMVの一部が『ME!ME!ME!』のオマージュだ、と動画のコメント欄で話題になっていた。
私はその曲が気になったのでYouTubeで検索して見てみた。公式で上げられているものがなかったので動画を貼り付けることはできないのだが、まぁ一言で言ってしまえばかなり刺激的で「ヤバい」曲(曲というより映像作品)だった。前半は水色の髪の女の子がお尻をフリフリしたりおっぱいがモロに出てたり、過剰に扇情的なアニメーション。後半は主人公と女の子の戦争が始まって、妙に切ない感じで終わる。このアニメーションが表す意味を調べたら掲示板で考察をしてる人とかいたけど、結局、制作陣が遊びのような感じで作ったとのことだった。(この作品自体も『Air/まごころを君に』という作品のオマージュらしい)
月ノ美兎のアルバム
久しぶりにアングラなものを見たなぁと思いながらそれ以上調べることはしなかったが、去年ハマって最近またよく聴いてる月ノ美兎のアルバム『月の兎はヴァーチュアルの夢をみる』を聴いててふと、なんとなく『ME!ME!ME!』と通じるところがあるな、と思った。
宝鐘マリンのオリジナル曲のMVは『ME!ME!ME!』の映像の一部をオマージュしていたのだが、それは『ME!ME!ME!』から「エロさ」「セクシーさ」を引用しており、MV自体が宝鐘マリンのセクシーさを存分に楽しめる作品になっていた。(普通に最高なのでぜひ)
ただ、その引用元(?)である『ME!ME!ME!』から感じるものは「エロさ」よりもむしろ「グロテスクさ」であり、その、いかにも“アングラ”なグロい感じを、月ノ美兎というヴァーチャルライバーにも感じるのだ。
グロテスク〘形動〙 (grotesque)
ひどく異様な姿・形をしているため、気味の悪さや不快な印象を与えるさま。グロ。
※秘密(1911)〈谷崎潤一郎〉「黄色い生地の鼻柱へ先づべっとりと練りお白粉をなすり着けた瞬間の容貌は、少しグロテスクに見えたが」ー出典『精選版 日本国語大辞典』
▲月ノ美兎自身の書き下ろしグッズ。【けっこうわりといい感じにデカめで煌やかな雰囲気のご報告】〈https://youtu.be/SQF17cxcgzs〉
Album『月の兎はヴァーチュアルの夢をみる』
「月の、兎、は、ヴァーチュ、ア、ル、の夢、を、みる」
ー"月ノ美兎"というキャラクターの解体
月ノ美兎が去年出したアルバムの一曲目、『月の兎はヴァーチュアルの夢をみる』。この曲は「月の兎はヴァーチュアルの夢をみる」と言っている月ノ美兎の音声を、切ったり、繋げたりして音に乗せた、歌というよりかはサンプリングのコラージュのようなもの。一曲目にも関わらず、聴いてる者を不安にさせずにおけない、不安定なリズム、合成音声のような月ノ美兎の声。
作詞作曲はASA-CHANG &巡礼というアーティスト。『花』という楽曲が有名で、私はこのブログを書くにあたって初めて聴いた。綺麗な演奏のあいだじゅう、ただ「花が、咲いたよ」と不規則なリズムで繰り返し言っている。ただそれだけなのだが、これがゾッとするほど怖い。聴いていて不安な気持ちになる。
『ME!ME!ME!』に似たグロテスクさを感じたのは、このアルバム一曲目を聴いていた時だった。彼女の声は綺麗で可愛い。そんな可憐な声を安易とぶち切り、変なリズムにのせ、歌にもならないような歌を歌わせている(合成音声のように。)。この楽曲は、「月ノ美兎」というキャラクター、及びヴァーチャルユーチューバーととしての彼女の存在自体を解体しているかのようだ。そういう意味で「グロテスク」だと感じ、『ME!ME!ME!』との類似点をみたような気がした。(『ME!ME!ME!』の曲を歌っているDAOKOの歌唱も、声は綺麗なのに音楽や映像と合わさると不気味さを感じる。)
「どっちを選んでもひとりの女 ひとつのカオス」
ーVTuberという存在の“曖昧さ“
『ウラノミト』は曲名に表れているとおり、"裏の顔"が曲のテーマになっている。
歌詞を深読みすると、性的な表現とも取れるものがあったり、ヴァーチャルな存在からはかけ離れているような生々しい歌詞がちらほら。この、ちょっと小悪魔的な(古い表現?)感じはいつもの彼女のキャラクターと異なるので聴いていてドキッとする。
「背後に気をつけて 首筋そっと キスするふり噛むかも」
「追いかけているのはいい子の方でしょ? 本当のことを教えてあげるよ」
「聞こえているなら返事して 悪い言葉を言ってみて」
メジャーデビューアルバムでメインとして出す曲としてはなかなか挑戦的な内容。MVも衣装もポップで可愛いけど、歌詞はこんな感じだし、音楽は変拍子だったりベースがぐわんぐわん鳴っていたりとちょっぴりダークな印象。「可愛い」も「変」も全てごちゃ混ぜのカオスな感じが、まさに月ノ美兎。可愛らしさの中に毒気を含んだ、一筋縄ではいかない複雑で入り組んだアングラ感が、この一見ゆめカワな楽曲に詰め込まれている。
どっちを選んでもひとりの女 ひとつのカオス
私たちの知らない彼女の裏の顔。VTuberは、他のエンタメ媒体に比べて、配信を通してかなりプライベートなことまで踏み込んで知ることができてしまう。そんな彼女(達)の、こちらからは知ることのできない、裏の顔。
視聴者とライバー(演者)は距離が近いから、配信の内容や発言を聞き、コメントを拾ってもらったりして彼女のことを知った気になってしまうかもしれない。でも、絶対に知り得ないこともある。相手側からこちらに語りかけているようにも仄めかすが(「聞こえているなら返事して。」)、彼女の手に触れることは一生出来ない。私たちは、彼女がインターネット上で見せてくれる「カオス」を、ただ存分に楽しむだけだ。ファジーな距離感を保ちつつ。
(しかし、画面上に映し出されている彼女も、その裏側の彼女も結局同じ「ひとりの女」であって、それは私たち人間も同じかもしれない。彼女のことを「完璧」には知ることのできないように、身近にいる人間1人のことも完璧に知ることなどできない。そこには多くの「謎」が含まれており、だからこそ魅力的に映るし人と人とは惹かれ合うのだ、と思う。)
「わたしはね いれるのです どこにでも」
ーかつてのインターネットを現代へ
ただ
近くても遠くてもいい 見えている
誰にもわからない
たしかなものがなくなり 光りだす
それを見ていたいのです いつもただ
長谷川白紙 作詞曲の『光る地図』。この曲でも月ノ美兎の存在は曖昧だ。抽象絵画のような曲なので、この曲に意味を見出すこと自体ナンセンスかもしれない。跳ねるようなメロディと散文的なリリックは彼女の声と調和し、独特な世界観を生み出している。
▲YouTubeにあがっている、『光る地図』のカヴァー。おどろおどろしいサムネイルだ。
存在は不確かだが「どこにでもいれる」というのは、Vtuberだからこその表現だ。
断片であり、曖昧であるが、どこへでも自由自在に行けるVtuberは、様々な媒体で生きることが出来(謎ノ美兎つきのみと没カット集 - YouTubeがいい例)、月ノ美兎はかつてのインターネットにあった「アングラな、(エロ)・グロ・ナンセンスの蔓延るカオス空間」で、唯一無二の存在感でVtuber界に屹立している。
生き 汚く 生きて
何かを創ったら
あなたの気持ちが1000年生きられるかも しれないから
月ノ美兎のこれから
私は月ノ美兎の音楽から入った者なので、彼女のこれからの音楽活動に期待している。特にアーティストとしての月ノ美兎はVtuber界の外からも高く評価されているので、これからも界隈の垣根を超えて、次元を超えて、どんどん月ノ美兎の名前を世に知らしめて欲しい。
ちなみに月ノ美兎のオリジナル曲で『アンチ・グラビティガール』、略して"アングラ"という曲があって、そこからこの記事の着想を得たのだが、いい感じに文章に入れることができなかった。これもいい曲なので知らない人は是非。
▼参考・引用
◯月ノ美兎オフィシャルチャンネル
https://youtube.com/channel/UCD-miitqNY3nyukJ4Fnf4_A
とある曲を別の解釈で捉えなおす試み
壊れてしまいました / バーバパパ
2021年10月29日にアップされたYouTuber「バーバパパ」氏の楽曲、『壊れてしまいました』。
この曲は、自身のパソコンが壊れてしまったという事実を受け、悲しみに明け暮れ(概要欄より引用)、制作したものと見られている。
しかし、私はパパ氏のPCが壊れてしまったという事実を知らずに聴いたため、全く違う解釈をこの曲にしていた。
バーバパパさんの新曲があがってる!
— 酒崎トオル🐑 (@doubututokani) 2021年10月29日
さっそく聴いた。
なんていうか、安易なものに堕ちていかないように抵抗しながら頑張って誠実に生きようと思ってても、周りにはグロテスクな善意や悪意に溢れていて身動き取れずしんどいみたいな人の心情を表すのがとっても上手いと感じた。個人的な感想。
改めて聴くと、まんまパソコンが壊れた曲じゃん、と思ったのだけど、じゃあ、私のこの曲に対する第一印象はなんなんだ? なんの情報もなく曲を聴いて、実際に感じたことは誤っているのだろうか。そして、サビ終わりの間奏のあのアニメーションにどう説明が付くのだろう?
歌詞を追いながら、"パソコンが壊れて悲しみに暮れていた"とは別の個人的な解釈を、つらつら書いていきたい。
いや、ただパソコンが壊れたって話なんかいい
— 酒崎トオル🐑 (@doubututokani) 2021年10月30日
*
暑すぎてご機嫌斜めなのね
グルグル回り続けて
秒針が響くだけ
この部分、アニメーションではパソコンがくねくね動くピアノとバイオリンに挟まれ苦しそうな顔をしている。これはパパ氏の別作品『思い出してEDMにしました』に出てくる3Dモデルで、おそらくこういったものがパパ氏のパソコンの容量を圧迫していて、それが故障の原因となってしまっていた、ということの表現なのかもしれない。“グルグル回り続けて”は、データを読み込んでいるときに表示されるあのぐるぐるのことだろう。
しかし私は別の解釈をした。(なんか始まったな) 楽器に挟まれ苦しんでいる表情をしたパソコンが「情報の波に溺れて、息苦しさを感じている現代人」に見えた。世は大サブスク時代。見なければならないもの、買わなければならないもので溢れている。そういうものを追っていないと「取り残されてしまう」様な錯覚に陥る。まるで同じテレビ番組を見ていないと話についていけないあの日の教室の様に。そういったものに「疲労」を感じて、辟易している人も多いだろう。かくいう私がそうなのだが、いやだからこそこういうナナメの読みを、この曲に対してしてしまっているのだと思うが。
前触れなく調子悪くなって
何故なの
面倒は増やさないでおくれよ
なぁ
“前触れなく調子悪くなって”とは、風邪とかそういった類のものではなく、もっと精神的な、現代病の代表である「うつ病」や「抑うつ」みたいなものと捉えた。(先ほどちょっと触れた大サブスク時代、スマホ時代からの流れもあり)さらに “何故なの”の後に女性の吐息が入る。(こういう演出はパパ氏の作品に今までなかったので新鮮だ。) ここではアンニュイで退廃的なものとエロティシズムが混ざり合って、独特の奥行きを醸し出していると感じた。
電源ボタン押して強制終了をするのもよし
壁に刺さったプラグ抜いてリセットするのもあり
現状に問いかけて自力で解決なんて無理
じゃあ
いっせーので321ではいgoの合図で行け
こことか、マジで現代の厭世的な雰囲気、ゲームへの逃避願望、(都市伝説などで語られる)仮想現実的な世界像を描いていますやん。
人生にリセットボタンはないし、強制終了では何も救われない、解決しない。ここではパソコンの逃避への願望(ニーチェの言葉を借りるとニヒリズム)を感じる。
あーーーーー
逝ってしまったんだ
再起不能に
なってしまったんだ
悪い夢なら醒めてくれ
サビが終わり、人の群れ?の中で荒ぶるパソコン。ここは現実か、はたまた悪い夢の中か。人々は次々生まれ、流れていき、炎に包まれ焼け消えてしまう。(それか闇に落ちていくか) このアニメーションを見て私はTwitterで呟いた「安易なものに堕ちていかないように抵抗しながら頑張って誠実に生きようと思ってても、周りにはグロテスクな善意や悪意に溢れていて身動き取れずしんどい」という印象を、この曲に抱いたのだった。人々は流されながら、抵抗もせず、火の中に入っていき、苦痛を味わうことなく消滅する。パソコンは唯一、この流れに抗っているように見えた。銃をぶっ放し、脳みそがはみ出ながらも、苦痛の表情を浮かべながらも。(どういう状況だよ) 彼だけ流れに逆らいながら銃を振り回している様子は、側からは狂っている様に見える。しかし彼は抗っているのだ、「壁に刺さったプラグ抜いてリセットする」ことや、「電源ボタン押して強制終了」することの持つ強い引力に。彼の心は壊れてしまったのだろうか。本当に、“完全に”?
どうにかこうにか頑張って
蘇生はできないものですかね
サポート保証は切れちゃって
知識は微塵もございません
(え? スマホも固まってしまった
時計も電池切れ?
邪鬼か? 邪鬼がおるわここに!)
ここはめちゃくちゃパソコンの故障を意味していますね。もう、そうでいいです。(投げやり)
始まる音ギリギリ耐えたのね
ありがとう
これ以上先に進まないけど
動き出した秒針が響いて
伝えた
邪鬼はここを後にしたようだ
最終的にはいつかこうなって
終わるとわかってたけど
困ってしまうから
せめて夢で伝えてくれ
永遠に朽ち果てぬやつがあればいい
永遠に
ここの切実さ、“朽ち果てぬやつ”という言葉の投げやり加減。朽ち果てない、つまり「死なない」「壊れない」ということか。永遠に。彼の悲痛な叫びは虚しく虚空に響き、最後は「もうダメ!」という顔をして暗闇に落ちてしまう。ここで深読みできる要素は、まぁ無いんですけど、結局彼が与えられている「苦痛」というのは、悪い夢の中の出来事なんかじゃなく「現実」で、その現実に「朽ち果てぬもの」はおそらく存在せず、自力で解決していくしかない、ということだろう。実際バーバパパさんはこの後、動画を月1ペースで上げ続けてるのでおそらく自力で解決できたのだろう。
*
今の時代、コメント欄やTwitterなどを見ると感想や解釈で溢れている。賛同の多いものに「なるほど」と頷きそうになるが、解釈はいくつもあっていいと私は思う。そういう「空白」みたいなものを設けないと、私たちはどんどん息苦しくなっていくのではないだろうか。
2022/1/1
なんだか 眠れなくて わたしは 窓を開けました
外は 雨上がりの 土の匂いがしました
さらさらと 木々の音が 聞こえてきました
いかなくちゃ 私 早く いかなくちゃ
人知れず ここから 遠い 西の空まで
この体ひとつで 歩いて いかなくちゃ
夜明け前に 家を出たのは 久しぶりでした
このまま どこまでも 行ける気がしました
雲が流れていて 星が出ていました
大切な約束を 果たすような気持ちで 歩いて
ひとりで私 なんだかへんだなって 思いながら 歩いて
澄みきった 空気を かき分けて いきました
タン タンと この足を 踏み鳴らして いきました
鳴き交わす 鳥の声が 遠く 遠く 響いて
東の空へと 消えていきました
(立ち止まって) あさが あさがきた
希望のあさが きたらいいな
いつも こんなふうに こんなふうに 毎日が
そしたら もっと たくさんの しあわせが
目に見えるかもしれないね
(まって)まって まってよ
まだ いかないで
今 たしかに ここに あったはず なんだけど
消えていっちゃった
感動は 私を すりぬけて 風の中
小さい頃は 私 宇宙に 行ってみたかったな
雲よりも 高い 高い 濃紺の 星空を 泳いで
地球の 大きな 青を見て そしたら私
みんなの苦しみが 消えてなくなったら
いいなって
そこで たくさん たくさん 祈るんだ
大人になってそんな気持ち なくしてしまったけれど
あなたは 今日は しあわせですか
せめて 今 そばにいてくれる 人たちの 毎日が
少しでも つらくないことを 私は 願っています
形のあるものが いつか壊れて なくなっても
今日のことを いつか 思い出せなくなっても
心配しなくて いいんじゃない
(大丈夫、きっと)そしたら私も 海に(宇宙に) 溶けて(なって)
ひとりで ながい ながい 旅に出ます
もう一度 あなたに 会える日まで
あさ あさ 朝靄の中を 今 私は
あなたを 探して 歩いています
あなたも ちょっと疲れちゃったかな
もう あまり 時間が ないと思うから
だって 空が 青すぎるから
深い 深い 森の中を 踏み越えていきます
(どこにいますか?)手足にできた 切り傷が
痛くて 涙が出ています(もう遅いですか?)
でもね 私 何回も 間違えちゃったから
あなたは 今日は しあわせですか
その絶望は どれほど つらいものですか
海の底は 暗くて 寒いですか
せめて あなたの 最後の一瞬が
少しでも 少しでも 救われていてほしくて
いまさら あなたを思う この気持ち この体から(止められなくて)
あふれる!
元日、たい焼きを家族でおいしく戴きました。
笑いの連鎖、漫才は”ぷよぷよ”だ!
(注意: これは、ゲーム『ぷよぷよフィーバー』についてなんとなくしか知らない人が書いてます。変なこと書いてたら笑ってください)
2021年4月18日、よしもと∞ホールにて行われた真空ジェシカ×ダイヤモンドツーマンライブ『ガクカワマタ』に行った。お笑いライブ自体あまり経験はないのだが、今特に好きなネタをする二組なので非常に楽しみだった。
当日は、ライブDVDなどをたまに観る程度でお笑いライブにはまだ一度も行ったことがないという友人を誘った。初めて行くお笑いライブにふさわしい二組かは疑問だが、友人とはものの考え方や好みが近いのでまぁ大丈夫だろうと判断した。
初めて行くよしもと∞ホールはかなりミニマムな印象。システムが良くわからず、半狂乱になりながら順番を待った。会場は客席が舞台を囲むように扇形になっており、まぁまぁ後ろの席を取ったが、舞台がかなり近くて驚いた。チケットを何回も床に落として1人てんてこまいになっていたらあっといまにライブが始まる時間に。オープニングVTPが流れ始める。素敵な編集と出演者の意気込みコメントが、期待と高揚をさらに高める。これから大好きな漫才師のネタが6本も見れる‼︎
私の行ったライブ『ガクカワマタ』は、人力舎所属「真空ジェシカ」と吉本興行所属「ダイヤモンド」のツーマンで、二組が交互にネタを披露する形式だった。まずはダイヤモンドが出てきてネタを披露。安定したダイヤモンド野澤節炸裂で、徐々におかしさが増していく展開がとても気持ちよかった。私は去年のM-1グランプリ準々決勝の動画でダイヤモンドを知ったのだが、その時披露されていた「スタバ」のネタと同じフォーマットで、なんだか嬉しかった。ボケの小野さんの絶妙な表情の感じが生で見れるのも、ライブならではで新鮮だった。
そして真空ジェシカの出番。袖から独特の雰囲気を醸し出しながら出てくる2人。生で、今まさに目の前で、今1番面白いと思っているコンビが漫才をする! 今、目の前で! ークラクラした。しかし束の間の感動のあと、繰り出される漫才、長キモ掴み(長くてキモい掴み)から一つ一つのボケが本当に面白い‼︎ 目の前で憧れの人が漫才をしているという感動も忘れ、目の前で繰り広げられているイリュージョンに圧倒され魅了されていき、ドカドカ爆笑が起こる会場のお客さんに混じってゲラゲラ笑っていた。とにかく、ボケの川北さんから繰り出される怒涛のボケ一つ一つに、会場がドカドカウケるのが見ていて圧巻だった。笑いの“連鎖”、まさに「漫才はぷよぷよ」だ、と、日頃から川北さんが提唱しているこの謎理論にも合点がいった。
私が1番笑ったのは真空ジェシカの2本目、大家さんのネタだったのだが、その中で「シェアハウスをしている仲睦まじいように見える住人がハンドサインで“help,me!”をやっている」というくだりがあったのだが、それを見た瞬間、ゾワッと鳥肌が立つような恐怖感と、面白さが同時に襲ってきて、(う、うっわ、すげーーーーーーーーっ)と、まるで雷に打たれたような衝撃が全身を駆け巡った。川北さんの発想に、狂気に、心臓を撃ち抜かれた。やっぱり凄いわ。只者じゃない。そう思った。いまだにあの光景は脳裏に鮮明に焼き付いている。それくらい衝撃だった。
それぞれがネタを披露し終わった後も、告知されていなかった大喜利コーナーが始まったのだが、「今まさに目の前で、ずっと映像で見ていた人が、“スケッチブック”に“大喜利の回答”を書いているッッ‼︎??」という事実が信じられず、頭の中枢あたりがサーティーワンアイスクリームのポッピングシャワーの様にパチパチ弾け、しばらく客席でボーーーーーッとしてしまった。真空ジェシカもダイヤモンドの野澤さんも大喜利プレイヤーとして界隈では有名な人たちなので『おのしろ大喜利』という若干イレギュラーな大喜利ではあったものの、非常に楽しく大満足だった。
*
そして2021年12月19日。M-1グランプリの当日。なんと今1番推している真空ジェシカが、2021の決勝に進出したのだ。TBSラジオで放送していた(現在Podcast等で配信中)『真空ジェシカのラジオ父ちゃん』を通してこのコンビを知り、YouTubeに上がっているネタの面白さに衝撃を受け、それから出演しているライブの配信を買ったり、YouTubeに川北さん自身が上げているネットラジオ『真空ジェシカのギガラジオ』を繰り返し繰り返し聴いたりして、自分の出来る範囲内で追っかけをしていた。初めて存在を知ってから2年。自分が今1番応援しているお笑い芸人が、数々の予選を勝ち抜き、決勝の舞台に立って世間に知られるまでを見れるという、またと無い機会がやってきた。
大会は最高だった。どのコンビも面白く、爆笑に次ぐ爆笑。真空ジェシカの名前が呼ばれ、紹介VTRが流れ2人が決勝の舞台にせり上がりで登場するのを見た時、いろんな感情になってテレビの前にすわって声も出さず静かに泣いていたのだが、ネタが始まってからは感動のことなど徐々に薄れていき、(ライブ行った時と同じだ) ただ次々繰り出される川北さんの秀逸なボケと、ガクさんの、ひょろひょろで若干見てる者を不安にさせる容姿ではあるものの、しっかりとボケの面白さを際立たせるツッコミ。ネタは「1日市長」という見たことのないものだったが、私が衝撃を受けた「ヘルプミーのハンドサイン」のくだりが採用されていて、しかもそれがかなりネタの“要”として配置されており、一人(うぉーーーーーーーーっ‼︎)と心の中で叫んだ。一つ一つのボケでしっかりウケていて、自分のことのように(わぁー、ウケてる、嬉しい)と思っていた。得点はいまいち伸び悩んではいたものの、私はテレビの前で心から拍手をして二人を讃えた。立派だ、素晴らしい。若干上から目線なのが気になるが本当にそう思った。真空ジェシカの番が終わってからも、最高の漫才師たちによる、最高の漫才が続く。結果、見事錦鯉が最も笑いの連鎖を打てた漫才コンビとして優勝した。真空ジェシカも、もちろん他のコンビも連鎖は打てていたのだが、やはり今大会では、錦鯉のボケまさのりさん・ツッコミ隆さんの今までの「人生」を“ぷよ”として積み重ね、「ライフ・イズ・ビューティフル」で締めたのが、“非常に芸術点が高いぷよぷよ”と評価されたみたいだ。(違います)
M-1後のオズワルドのラジオで、今年オズワルドを知りそれがきっかけで生まれて初めてM-1を見た、という方のメッセージが読まれていて、その中で出てきた「誰かを応援すると、こんなにも誰かの夢を大事に思えるんですね。」という言葉が、すごく胸に沁みてジーンときた。真空ジェシカの応援をしていて、二人に起こる様々なことに一喜一憂し、今年の年末、夢の舞台に立っている二人を見届けることが出来た。私は本当に最高の体験をさせてもらった。二人はこれからどんどん売れていって、たくさんの人たちに笑いを届けていくのだろう。今、私は少し元気がない状態なのだけれど、二人の活躍を見て元気をもらい希望をもらい、二人のネタにめちゃくちゃ笑わせてもらいながら、来年も生きていこうと思う。皆さんよいお年を。
キミは「わんたんマシーン」を知ってるか
DAME DAME DAME DAME DAME DINERO
ギミーギミーギミーギミー ギミーサムシング
色恋とか将来より 優先すべきは 生活!!!
ー『生活こんきゅーダメディネロ』/上坂すみれ
突然だが、「すわだチャンネル」をご存知だろうか。
長年インターネットの海に潜っている民はご存知だと思うのだが、私は最近存在を知り、その才能に、魅力に、どんどんハマってしまった。
その「すわだチャンネル」(このチャンネルに関する説明は長くなりそうだし複雑なので省く)でシリーズものとしてアップロードされている「わんたんマシーン」という映像作品を今回は紹介したい。
「わんたんマシーン」第二話の衝撃
「わんたんマシーン」は、犬のぬいぐるみ"いぬわんたん"が、さまざまな色や素材で装飾された乗り物"わんたんマシーン"に乗って登場するオープニングから始まる。
この動画は“第2話”となっているが、第1話はオープニング曲のみの動画なので、物語としてはこれが最初のお話である。
私はこの第2話『ギガわんたんドリル』に、軽い衝撃を受けた。
第2話『ギガわんたんドリル』
ある日、わんたんがいつもの様にわんたんマシーンに乗って道を走っていると、大きな障害物【BIG STONE】にぶち当たる。わんたんはマシーンを何度もうちつけ【BIG STONE】の破壊を試みるも、打撃だけではびくともしない。そこで突然『CREATE』の文字が大写しになり映像はわんたん宅に飛ぶ。そこにあるものはわんたんマシーンと、何やらマトリックスを思わせるコードの流れるパソコン。そしてわんたんが書いたのであろう文字で『岩をこわすやつを作ろう。』のテロップ。わんたんはおもむろに設計図を書き、何やら作り始める。「◯◯のやつを…こういうやつやな」とかなんとかボソボソ言いながら作業を続け、出来上がったのが「わんたんマシーン ギガわんたんドリルモード」という、わんたんマシーンの前部分に大きいドリルがついているもの。映像は再び【BIG STONE】がゆく手を阻む道に戻り、しかし今度はドリルがついてパワーアップしたわんたんマシーンがその前にある。わんたんがスイッチを押すとモーターが動き出し、ドリルが回転する。そのまま思いきり【BIG STONE】にスピードをつけて突進するわんたんマシーン。見事、【BIG STONE】は真っ二つになった。虚しく転がっている“それ”を機体の上で振り返って見ながら、わんたんは意地悪く微笑むのだった…。
…と、第2話のおおまかなストーリーはざっとこんな感じ。では、なぜ私はこの作品に衝撃を受けたのか。それは、このわんたんマシーン第2話のテーマ、そしてプロセス(過程、方法)が、「生活」そのものであって、これが「生きていく」ということなんだ、と、これは自分の人生経験と照らし合わせた時、実感を伴って感じたからである。
ここでいう「生活」とは、
せい-かつ【生活】
生存して活動すること、生きながらえること
ー広辞苑(第五版)
つまり、食事や睡眠、家事、労働など「生きていく上で基盤となるような行為」のことをいう。人間は何もしないで生きていけるなんてことは決してなく、日々小さなことから大きなことまで物事をこなしながら生きている。毎日習慣のように繰り返していると忘れがちになるが、この当たり前の様に思える活動の連続が「生きている」ということなのだ。
*
わんたんマシーンのゆく手を阻む【BIG STONE】、これはわんたんが乗り越えるべき障害物としてこのお話で設置されている装置だ。この【BIG STONE】が意味するものは、生活のあらゆる場面で立ちはだかる「課題」である。
・【BIG STONE】= 課題
そしてわんたんはこの「課題」を乗り超えるためにわんたんマシーンを自らの手でパワーアップ『CREATE』させるのだ。
・『CREATE』= 課題を乗り越えるための手段
→自らの手で修復/創造する(創意工夫する)
自らの手でわんたんマシーンをパワーアップさせたわんたんは、無事、【BIG STONE】を打ち砕くことに成功する。
すごい(わんたんマシーン)
うごく(わんたんマシーン)
*
のりこえてく
つきすすんでく
パワーアップしてく
(×2)
わんたんマシーン
ー『わんたんマシーンのテーマ』/いぬわんたん
上に書いたのは「わんたんマシーン」のオープニングテーマの歌詞だが、これが非常に素晴らしい。
歌詞は非常にシンプルで、たった5つほどの単語で構成されているにも関わらず、こんなにも「生活」を、そのプロセスと偉大さを、端的に表した歌詞はないと私は思う。
- 「のりこえてく」→ あらゆる場面に出現する「課題」を自らの手で工夫をしながら解決していく。
- 「つきすすんでく」→ 得意不得意関係なくあらゆる場面で創意工夫を繰り返し、挑戦をし続ける
- 「パワーアップしてく」→ 課題解決への方法や技術を自分のものにしていく
日常生活での応用と実感
映像を見た時の衝撃を「実感を伴って」感じた、と書いたが、この[課題→修復/創造→目標達成]というプロセスの重要さを、一人暮らしの生活の中で身にしみて感じるのだ。
例えば、家事。掃除、洗濯、料理と、1人で住んでいるとなかなかやることが多い。私は掃除も料理も別に好きではないので、最初はあまりうまくいかんかったし、今でも試行錯誤を続けていて「どうしたら安くて美味しい料理が作れるか」、「快適な暮らしやすい部屋にできるか」考えながら生活している。料理などは最初の方こそレシピを見ながらでないと作れなかったが、日々やっていくうちになんとなく「コツ」を掴めてきて既存のレシピをアレンジして自分なりの味付けにして作るという高等技術も身についた。朝ご飯を作る手際の良さや、手作りサンドウィッチの味など、自慢できるぐらいのものもいくつかある。一人暮らしをして2年ちょっと。未だに料理が好きか、というと「NO」と答えるし、得意なこととはとても言えないが、そういったことでも日々続けていれば続けた分、それなりの上達はある。
以前、このブログの様な文章を書く時に必要なiPadとワイヤレスキーボードの置き場所にいつも困っていたのでそれらを収納できる棚が欲しいなと思い、100均で部品を組み合わせて作れる棚やその他もろもろを購入し、見事いつも使っているテーブルの下に収まる棚が完成した。いつも邪魔になっていたiPadやキーボードが収納されたことで快適になった。
課題: iPadやワイヤレスキーボードの置く場所が決まっておらず、邪魔。
↓
創造: ラックを組み立て棚を作る
↓
目標達成: 机周りがスッキリして、作業がし易くなった。
スッキリとしたテーブル周りを見て、頭の中では「わんたんマシーんのテーマ」が流れていた。
のりこえてく
つきすすんでく
パワーアップしてく
*
最近、朝のウォーキングを日課にしていて、それがかなり続いているのである。まだ一ヶ月も経ってはいないが、運動ぎらいで三日坊主の私にとっては驚くべきことである。私はまず、新しいシューズとジャージを購入することから始めた。ウォーキングを始めるにあたり「課題」がいくつかあったのだが、1番は「見た目」だった。おそらく私のことなど誰も気にしてはいないと思うのだが、手持ちのダボっとしたスウェットで近所を歩く、というのが自分として許せないのだ。「運動不足で醜い自分」というのが強く意識させられて、外を歩くことへの意欲が消失する。この「課題」に対して、「まずは形から」という挫折する人がよくいう理論(?)がけっこう私には合っていて、かっこいいシューズやトレーニングウェア(そうはいっても大したものは買っていない。シューズはアディダス、ジャージその他はワークマンやユニクロで購入)がウォーキングを続けるモチベーションになっている。さらに、歩きながら飲めるように朝淹れたコーヒーを保温ポットに入れて持っていったり、音楽を聴くなど、気分を上げるための工夫をしている。
ウォーキングを始めてから、「太陽の暖かさが気持ち良い」や「空が青くて綺麗」などという感情が自然に湧いてくる様になった。その前までは明るいのが嫌いで晴れた空や夕焼けなどを見てもなんの心の動きも起きず、むしろうざったいくらいだったのだが、その色彩や空気を、歩くことで少し健康に近づいた身体で感知することができるようになった。『朝のウォーキングは素晴らしい。朝日を浴び、風景を楽しみ、元気になる』的なことを言ってる人を見ると内心「うるせぇ黙れ」と思ってたが(まぁ今も思ってはいる)、やはり「まずは、動く」ことが大切なんだなと身を持って実感している。
課題: ウォーキングのモチベーションを維持する
↓
創意工夫: トレーニングウェアー一式揃える。コーヒーを保温ポットに入れて持ってく。最近だと寒いので、出る前は暖房をつけ身体を温めてから外に出る。毎日しなければいけない等の決まりを作らない。etc...
↓
目標達成: 三日坊主にならず続けることができている。義務的にならず楽しくできている。前より健康的になったことを実感している。
のりこえてく
つきすすんでく
パワーアップしてく
*
あとこれはすあだチャンネル全体に言えることなのだが、映像からもわかる通り、すあだ氏は技術力が高いし器用な人なんだろうと思われるが、作品自体は非常に(いい意味で)チープなものが多い。完成度、満足感共にめちゃくちゃ高いのだが、なんというか、手作り感満載だ。撮影も編集も、小道具作りも全部すあだ氏一人で行っている。わんたんマシーンも何で着色されてるのか謎だが(ポスカ?)、プラモデルをキレイに塗装するためのスプレーとか本格的なものでないのは確かだ。なにかの配信で、わんたんの新しいゴーグルを百均で売ってる皮財布を分解して作っていたが、ゴーグルの形に裁断する際かなりフィーリングで切っていて「あ、そんなんでいいんだ」と思った。つまり、何が言いたいかというと、すあだ氏の動画から学べることは
「最初から完璧を目指さなくて良い」
SNSを見ていると様々な分野で一般の人が高クオリティのものを作ったりしていて、検索するとそういう動画だったり写真が沢山出てくる。ゲームの世界が顕著だが、今は世界中の凄腕プレイヤーの動画が簡単に見れてしまう。そして上手い人の上にはさらに上手い人がいて、きりがない。しかしすあだ氏の動画というのはいつでも自分のやり方・自分のペースで、やりたいことをやってフォロワーに楽しんでもらっているという印象。この、「良く出来た不完全さ」みたいなものが、自分が何か作ったり生活を営んでいく中で、ものすごく支えになっている。なにかに挑戦する際、それに対するイメージ(ネットで見れる他の人の技術や作品自体)と自分が実際にやってみる事 との間には大きな隔たりが存在する。その行為自体の「うまみ」みたいなもんはほんの1,2割程度で、あとはひたすら土台作り。(このブログもそう。書きたいことがあっても、いざ書き始めると理想としてたイメージがボロボロと崩れていくのを感じながらなんとか書ききる、という)だいたいそうだ。それが現実であり、「生活」なのだ。その「土台作り」の時点で心が折れそうになるとき、すあだ氏の存在や作品から得られるものにとても救われる。配信でゆっくりのんびり話すわんたん。しかし挑戦を続け、自分の手でパワーアップさせていく芯の強さには勇気付けられる。
(この動画でけっこうわんたんマシーン制作秘話を語っていた。いろんな映像作品を参考にしたり、機材が故障するハプニングに見舞われたりと、動画内で「編集で、もうなんか命を削った感じの、(寝転がって)クゥーーっ!って感じに最後なりました」と言ってるぐらい、大変な苦労をして動画を撮っていることが伺える。)
Q:クリエイティブな思考ってどうやって養われますか?
修理職人「まぁクリエイティブって言うと難しく聞こえますけども。だからクリエイティブなことしようって言うよりも、やっぱ気持ちを? やる。気持ちをこめてやる、っていうことが結果としてクリエイティブに、なると思う」
ー『【live】修理職人の日常』より一部抜粋
パワーアップしてく
SNSを見ていると、いい暮らしをしている人などが目に入って、つい自分と比べて嫌になってしまう。しかし自分の出来る範囲内で工夫して「自分の城」を築き上げていくのも案外楽しい。目に見えるものだけでなく、その"プロセス"にも目を向けること。そしてそれを楽しめるようになっていければ、ポジティブに「生」を実感できるのではないのだろうか。
私の好きな作品『ミッドナイト・ゴスペル』の中で、とても心に残ってるセリフがある。
「川の流れに身を任せると気付けるわ
愛と呼ばれるものが 自分を助けてくれると
経験してみないと気付けない "慈悲"ね
私が思いつく答えは"現実"ね
現実には慈悲の性質がある」
このセリフの真意は分からないが、なんとなく「そうだよな」とうなずけてしまう。"現実には慈悲の性質がある"。今、社会や仕事に嫌気が差して「現実逃避」したい人が多く居て、そういった欲求に応えるようなグッズが多く出てきているが、ただ見たくないものから目をそらし「癒し」を求めるなら、いま一度「生活」に目を向けて見ることも、疲れた心を癒やすきっかけになるのではと、私は考える。(私がここで言っている「生活」はいわゆる『丁寧な暮らし』とは異なることは言っておきたい。ああいったものは生活に余裕のある人がするものであり、なおかつ"不自然"な生活であると感じるからだ。そう、偏見です)仕事や人付き合い以外で、自分で手を動かして何かしてみる。すあだチャンネルを流しながら作業すると尚良いかもしれない。
日常の些細なことでも、挑戦し、乗り越えていくこと。これからもきっと、何か課題にぶち当たったとき、このわんたんマシーンの精神に支えられるのだろうと思う。
(写真: 最近焼き菓子作りにハマっている。焼き菓子作りは工程から焼き上がりまで慈愛に満ちている。好きな音楽やラジオを聴きながら材料を混ぜていると不思議と気持ちが整う気がする(スピリチュアルではないです)。出来たら食べれるし、オススメです。)
アンチ・グラビティガール「月ノ美兎」の魅力
ヴァーチャルユーチューバーの「月ノ美兎」をご存知だろうか。
ヴァーチャルユーチューバー、通称「VTuber(ブイチューバー)」について詳しくはないけれど、存在はまぁ認知しているという人が多いのではないだろうか。今回はそんな、VTuberの草分け的存在、「月ノ美兎」の魅力を語っていきたい。
月ノ美兎とは?
2018年2月7日、月ノ美兎は憧れのVTuber/バーチャルライバーとなった。緊張した様子からかわいらしく清楚な女の子かと思われたが、学生らしからぬ秀逸な言語センスとサブカル知識を披露。そのギャップと造詣の深さから人々の注目を集め、現在ではVTuber/バーチャルライバーをけん引する存在となっている。
「バーチャルユーチューバー」という言葉を聞いただけで嫌厭している人もある程度いるのではないかと思う。私もその1人だった。あの、自由の効かない奇妙な身体の動き、じっとこちらを観ている目、内輪ノリでわいわい騒いでいるあの独特な空気感…。左に並べたものは全部私がVtuberに対して抱いていた雑感である。未だに、あのコラボ配信的なので数人がこちらをジッと観ているサムネなど見るとゾッと悪寒がする。同じ理由でジャニーズのうちわなんかも怖いのだが、そんな話はどうでもいい。今回は月ノ美兎の話だ。(ここから少し自語りぽくなるので読み飛ばしてね) 私はVtuberについて今でも詳しいことは何もわからないのだが、少し前にバ美肉を通してVtuberを知り、なんとなく観たり観なかったりしていたところに月ノ美兎の存在を知った。知ったのは彼女の配信ではなく、彼女のオリジナル楽曲だった。
その楽曲が私のドツボにハマって(まぁ大好きな作詞作曲陣だから当然なんですけど)、曲を毎日聴いているうち、ふとどんな動画を普段上げているのか気になって彼女の歌以外の「配信」動画をなんとなく観てみた。私はラジオが昔から好きで、YouTubeでも音声のみで楽しめるものを好んで聴くので、彼女の配信も同じように「ラジオ」感覚で聴けると分かり、なんとなく家事をしながら聴いたりしていた。そしてしばらくするとYouTubeの再生リストに「月ノ美兎」のリストを作り、そのリストにはお気に入りの配信(その多くは雑談)がどんどん追加されていった。手を出してからハマるのにあまり時間はかからなかった。それがなぜなのか?っていうのをこれから話していきたいんだけどとりあえずそんな感じで、家事をするときやシャワーを浴びる時などに配信を垂れ流し、「好き」が溢れてきてファンアートを描いたり等、気づけば立派な月ノ美兎リスナーの1人になっていたのである。
自分語りはここまでにして。さて、「月ノ美兎」とは、『にじさんじ』というVtuberが多く所属する事務所の第一期生メンバーである。この『にじさんじ』で活動するライバーというのが、ほぼ自己プロデュースであり、ライバーによってそれぞれの個性を生かした配信を見ることができるというのが大きな特徴のようである。他のライバーをまだあまり知らないのでなんとも言えないのだが、月ノ美兎に関してのみいうと、彼女は自己プロデュースが恐ろしく上手く、そしてヴァーチャルユーチューバーという職業、ひいては「インターネット」との相性がすこぶる良いのだ。そんな月ノ美兎の配信の魅力。それは、
- 秀逸な言語センス
- エンターテインメント精神
- この世を楽しみ尽くそうという姿勢
この3つ(+α)である。
Vtuber界の委員長、さらにはエンターティナーでありアイドルでもある。そんな“カオス”な彼女の魅力を掘り下げていこう。
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「わたくしは猫の交尾が見たくて見にいくんですけど」
「わたくしさ、猫のでっかい鳴き声ってたまにするじゃん『これ赤ちゃんなのかな?猫なのかな?』みたいな声、たまにするじゃん。『ホ、ホェエエエエエアァアアアッ』みたいな感じのが。(笑) たまにさ、ド深夜に外で鳴り響いてる時あるじゃん。わたくし、あれ聞いたら、瞬時にそこまで行くんだよね。ふふっ。(笑) 瞬時にさ、走っていくんだよねわたくし。いや、逃すな逃すな!と思って、“ガーッ”って走っていって。前もそういうことあってわたくし。コンビニ帰りに外歩いてたら、外から、遠くから『ンアアァァァ』って聞こえてきたから、『逃すな逃すなっ!! 乗り遅れるなこのビックウェーブにっ!!』って思って、その声のする方向にガーッって走ってったら、あの〜、ちょうど多分、交尾じゃなくって、わたくし交尾が見たくて行くんだけど、喧嘩中だったっぽくて。で、猫ってさ、最初に目逸らした方が負けってルールがあるらしくって、そう。あの、目をお互いにガーって合わせて、先に目を逸らした方が負けのルールがあるらしくてで、わたくしが、極力バレないように『スッ…』って覗いたんですよ。スッって覗いたら、奥側の猫だけわたくしに気がついちゃって、多分わたくしの方を見て、目逸らした認定になっちゃったんですよ。で、猫って、勝負がついた後に、背を向けて走っていったら、相手が本能で追いにくるから、ゆっくりゆっくり、目を見ながら後退りして行くしかないんだって、猫は。縄張り争いみたいなやつは。それ、わたくしのせいで負けたんですよ! 可哀想に。本当に。わたくしもゴメンッ!って思った。心底申し訳ないって思ったんだけど、奥の猫がわたくしに気がついて目逸らしちゃったから、あの、そのまんまゆっくりゆっくり後ろに、一歩ずつ一歩ずつ下がっていくんですよ。可哀想。ふふ。で、完全にその猫がいなくなったんですよ。で、あぁいなくなったか。ごめんね、って思いながらわたくし、そのまま家まで帰ったら、さっき勝負ついたはずの縄張りのところから、猫の『…ンニャッ!!』って鳴き声がして。これ、見てないけど、猫ガッツポーズしたんじゃないかって。(笑)あの、わたくしがいなくなった後、勝った猫が一匹で叫んでたんですよ、おかしくないですか? 多分…『ンン…ニャッ‼︎』みたいな声が聞こえてきたから、あ、これガッツポーズしてるわ、今。みたいな。ハハハ…(笑)」
(2021/10/25)『不死身の月ノ』より一部抜粋
これ、多分1番初めに見た配信動画じゃないかなと思うんだけど、一瞬で心掴まれましたね。テンポの良い喋り、「猫の交尾が見たくてダッシュする」という異常行動、そして綺麗にオチをつける話の構成のうまさ。喧嘩中の猫の片方が自分のせいで負け、夜に響く勝った方の猫の鳴き声を“ガッツポ”したと捉えるセンスは、ハライチの岩井勇気さんのフリートークにも通ずるものがある。岩井さんは、日常の何気ないひとコマを何倍にも膨らまして(虚構も交えながら)まるでファンタジーの様にしてしまうトークスキルを持っているが、月ノ委員長にも似た技術とセンスがあるように感じる。中学時代に『オードリーのオールナイトニッポン』のリスナーだった事も、トーク力に関係しているのかもしれない。(あと個人的に待機画面とBGMのシュールさも心掴まれたポイント。)
上に書いた喧嘩中の猫のトークのように、配信でするちょっとしたトークに委員長のセンス、そして“世の中を斜めから捉える独特の視線”が伺えるエピソードは、他にもたくさんある。是非配信で確認してほしいが、いくつかその片鱗が見えるエピソードをあげてみよう。
◯カップルチャンネルの需要について
「面白いと思うけどね。わたくしはカップルチャンネル見るの結構好きだよ。あの、みんなTikTokって知ってます? みんな知らないと思うから説明すると、縦に長い動画をね、こう、スワイプしていったら、あのなんか割と9.9割方しょうもないみたいな動画がね、(笑) 出てくるアプリがあるんだけど。なんかあれって、『興味ない』みたいなボタンがあるのTikTokって。そんなTikTokの中にも一握りの宝石はあるもんで、実は結構面白い動画とかも中にはあるんすよ。そう。わたくし一時期TikTok見てたからね。で、『興味ない』ってボタンを押すと、どんどん、自分のツボにはまんない動画がジャンルごと消されていって、その、理想のTikTokになるんだって。最終的に。そう。もう、何?『TikTok面白くないのはお前の努力が足りないからだ』みたいな、まぁ感じになるらしいんだけどさ。でもわたくし、その『しょうもねぇ』を肌で感じたくて見てるとこあるから。うん。なんか臭いものを嗅ぎにいっているみたいなとこあるから。あんまりね。使いたくないんだよね、それ(興味ないボタン)は。
…っていう感じだよ。カップルチャンネル見る感覚、わたくしは。」(2021/08/28)『喋る10代』より一部抜粋
◯昔のネットと御学友の話
「ニコ動の週間ボーカロイドランキングを毎週見てたんですよ。で、結構オタクの友達の中で、2、3人の友達で「今日ボカラン見た?」みたいな感じの話をね、してたんですよ学校で。でその、ボカランの話で友達が「あのさぁ、2位の曲が出てきた時さぁ、『一位把握』ってコメあるじゃん。あれめっちゃムカつくよねぇ」って言われたんですよ。わたくし、「一位把握」って書いてたんですよ。(笑) (中略) わたくし全然悪意なく、それがムカつく人がいるってこととかが全く頭に無くって、普通に一位把握した時に「一位把握」って書いてたんですよ。(略) でね、それを話した次の日の、テストでね、漢字テストがあったの。でその漢字で、「はあく」ってひらがなが出てきて、これの漢字を書きなさいってやつが出てきたの。でわたくし毎回書き込んでるから、「はあくってアレじゃん!」ってもう一発で書けたの。で、その友達が「ニコニコのNGコメの中に入れてたから書けなかった!」みたいな(笑)「ちょっと待って、私把握って入れてたから書けなかった!」って。めちゃめちゃその時爆笑しちゃったって話がね。(笑) ありましたね。」
「(コメントを見て)そう、落語みたいな話でしたね。」
(2020/03/09)『買い出し行ってきたよ〜』より一部抜粋
日常的に起こった出来事や、感じたことなどをエピソードトークとして人に話すのは至難の業だ。私も「ガムトーク」という、紙に書かれたお題をもとにトークするというボードゲームを以前やったのだが、ひとたび自分を「話し手」と意識すると、普段テレビやラジオの番組などで芸人さんたちが軽快にしている“トーク”というのが、こんなにも難しく思い通りにいかないものなのかと衝撃を受けた。しかし委員長はそれを何気ない「雑談配信」で話の筋道を見失わず披露するのだ。しっかりオチもつけて。流行っているものやネット界隈で嫌厭されているものの話題に対しても、独自の見解を秀逸な言葉選びで話す委員長の感性は信頼に値する。
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「わたくしが一蘭好きなのは“アトラクション”だから。“エンタメ”だからですよ。」
委員長の配信コンテンツの一つに「体験レポ」というものがある。体験レポとはその名の通り、委員長自身が行きたい/体験したい場所に行き実際どうだったかというのを、体験レポートとして自身で書いたイラストなども入った[自作のスライド]を交えながらプレゼンする、というもの。バーチャル世界の住人が、リアルで体験したことをレポートするという特殊なものだが、かなり手が込んでおり、それでいて終始委員長の軽快なトークで進められ、非常に分かりやすくそして興味をそそられる配信になっている。そんな「体験レポ」のなかで特に印象深く、委員長の魅力の秘訣が詰まっている『絶対に眠ってしまうと噂の店に行ったら電波だった』という動画を紹介したい。
「悟空のきもち」という予約の取れないほど人気のあるヘッドスパに行ってきたという委員長。いざ入店してみると謎のオブジェがいくつか置かれていたり、理解不能な映像が待合室で流れていたりと、なかなか香ばしい空間に迷い込んでしまったようだ。そんな“電波”な空間で体験したことをレポートしている。
(店内を撮影した写真を見ながら)「すごくない?このセンスというか…。わたくしね、これ分かった。これ見て全部分かった。わたくし悟空の気持ちというもののアレが。これ、エンタメだわ。ヘッドマッサージって側面も確かにあるんだけど、これエンタメ施設、ですね。アトラクションですね。そう。これだってもう、これすごくないこのデザイン。絶対ツッコめって言ってるじゃん。そう。だってただただヘッドマッサージしたいだけならこんなこと…だって、もうアトラクションが人によっては8割ぐらい占めてるかもしれない…これはこういう施設、エンタメを観にくる場所なんですよ。
一蘭と一緒です! そう、わたくし一蘭好きなんですよ。一蘭が好きな理由は、一蘭が“アトラクション”だから。“エンタメ”だからですよ。そんなさ、『味集中カウンター』で味覚以外の五感を全てシャットアウトしてください‼︎ みたいなのってさ、そんなの普通はさ、普通はそんなこと、いくら自信があっても、その発想には至らないですよ。一蘭って、あの、トイレにトイレットペーパーが何個も何個もあるんですよ。で、それもだって一蘭がそれだけ神経質に、あのー、突き詰めてるってことの“演出”な訳じゃないですか。悟空のきもちもそういうことなんですよね。これって“エンタメ”であり、“アトラクション”であり、っていう。『貴方は絶対に眠れます! もし眠れなかったらそれは眠りが深すぎてわからなかっただけです』っていうのは、それはもう、そういうエンタメ。」「別にわたくし眠れなかったけど、眠れなかったところまで一セットで本当に、堪能し尽くしたって自信がある、悟空のきもちを。本当に素晴らしかった。」
(2021/05/31)『絶対に眠ってしまうと噂の店に行ったら電波だった』より一部抜粋
結局、「絶対に眠ってしまう」という触れ込みだったにも関わらず眠れなかったという委員長。しかし本質はそこではなく、「エンターテインメント性」なんだと理解し、最終的には大満足したと報告してレポは終了。本来ならば目的達成ならず、で終わらせてしまいそうなところを、ラーメンチェーン店「一蘭」との共通点を挙げ、素晴らしいエンタメ施設だったとまとめ上げてしまう。のちにまた触れることになるが、委員長が物事を楽しむプロであることがこの話からは伺える。こういう話をしてる時の委員長、話す言葉の一言一言が力(ちから)入ってて良いんですよね。
◯脱出ボードゲームのススメ
この配信では、委員長が今までやったことのある「脱出ボードゲーム」というかなり変わったボードゲームの紹介(レビュー的なもの)をしている。
「脱出ボードゲーム」の他のボードゲームと違うのは、たった一回しかプレイすることができないところで、コスパ的にもなかなか攻めたゲームだが、“脱出ゲーム好き”で有識者の委員長のプレゼンはとても惹き込まれるものがあり、新たな楽しみツールをこっそり教えてもらっちゃった、みたいな特別感を感じることができた。
委員長は「映像研究会」に入っていた(入っている)こともあり、インターネットはもちろん、映画などのサブカルチャーの知識も豊富だ。映像関係の手伝いをしたり、「文化庁メディア芸術祭」に毎年参加していたり(2021/05/22 に配信『真夜中、あなたと記憶をたどる#1【アンリアルライフ】』にて)と、映像、エンターテインメントに関わるものの造詣が深い。委員長の配信を見ればその経験が生かされているのがよくわかるはずだ。ゲーム配信での着眼点は鋭く、ゲームにさほど関心のないリスナーでも楽しめる内容になっている。
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「一緒に人生を神ゲーにしようかなと。」
「一緒に人生を神ゲーにしよう」。今でも名言としてファンの間で語り継がれてる委員長の言葉だ。
月ノ委員長は「死ぬまでにやりたいことリスト」というのをノートに書き溜めており、前に書いた「体験レポ」も、その「やりたいことリスト」に基づいて実際に体験してきたことを、レポ形式でリスナーに共有している。この名言が飛び出した配信では、自身が行きたいと常々言っていたという「断食道場」に行ってきた体験をレポートしている。この“断食道場に行く”ことは委員長にとってかなり重要だったらしく、というのも、委員長がこの配信をする前に彼女のオリジナル曲(『アンチ・グラビティガール』)の視聴が出てリスナーも聴けるようになっていたのだが、この曲というのが委員長にとっての「やりたいことリスト」や「体験レポ」が深く関わっていると自身で解釈しており、断食道場というずっと行きたいと言ってはいたものの、言い訳を作ってなかなか行けてなかったことに対して「やりたい事はどんどんやるべき」と思い、そのメッセージのこもった(と、自身が個人的に解釈している)オリジナル曲が出る前に、断食道場に行きたかったのだ、と委員長はレポの終盤に語った。この「やりたいことはどんどんやるべき」という精神は、委員長のVtuberの活動にしても、ヴァーチャル世界ではない“リアル”での委員長の生き方にも貫かれているものだ。配信終盤、月ノ委員長はこう語る。
「まぁでも結構わたくしは、やりたい事とかをね、色々やって楽しく、あの、人生をさせていただいているので。皆さんも、なんか楽しそうなものとかあったらお裾分けをしていただけると嬉しいなと思います。またちょっとそれもねー、みんなからオススメのB級スポットとかを募りたいんだけどね…。(中略) 是非是非みなさん、楽しそうな場所を見つけたらお裾分けをしてください。一緒に人生やりましょう。一緒に人生をね、神ゲーにしようかなーと。思いますわ。リスナーさん達。」
(2020/03/01)『専門家の元で食事を4日間抜いてみた』より一部抜粋
ただ自分に起きたこと出来事を面白おかしく話すだけに留まらず、「わたくしと一緒に、みなさんも楽しい人生にしていきましょう!」とリスナーに呼びかける。どこまでもボジティブでワクワクする提案に、リスナーは魅了され、そして「自分も何か、やり残したことがあったのではないか?」とリスナー自身も自分に問いかける。私も「やらない後悔よりやって後悔」だと考えるので、委員長のどこまでも人生を楽しみ尽くそうという姿勢にはとても感銘を受けた。
◯ロリータ服で、街を歩く。
ロリータ服を一度は着てみたかったという委員長。そういう系統の服に詳しいライバーと共にロリータ服を買いに行き、街を散策した体験をレポート。ロリータ服の難易度の高さに、途中体調を悪くする場面もあったものの、街で出会う人がロリータ服に意外と寛容であったこと、服が映える様な喫茶店でケーキを嗜んだことなどを語り、大満足の委員長。体験を終えた委員長はリスナーに対し、
「みんな本当はふりふりした服、着たくない?」
「『着づらいなー』と思う人でも、今こそ着るべきだと思う!」
委員長自身、ロリータ服どころか、ちょっとふりふりした服も着るのを躊躇う性格だった。しかしここでもまた「やりたいことリスト」的な発想というか「一度はやってみたかった」事。
「ロリータ服とかってさ、『私が好きなんだ周りの目は知るか』っていうことの、最たるものじゃん。生殺与奪の権を他人に渡すなみたいな感じのね。そういうもんじゃん。」
(2020/11/17)『雑談にじ3D ボイトレしたりロリータ服で街歩いた話する』より一部抜粋
「ロリータ服は『それがしたかったらすればいい』の極致」とも話す。「やってみたいけど抵抗があるからやらない」のではなく、「それがしたいからする」。しかもロリータ服とは人目を気にせず自分が着たいから着るという性質を持つ服だ。結果、大満足の休日を過ごし、さらに家にロリータ服があるという特別感も感じられて大変良いのでおすすめ、と締め括る。
最初に、月ノ委員長を「Vtuber界の委員長であり、エンターティナーであり、アイドルである」と書いたが、この配信からは「アイドル」月ノ美兎の片鱗が伺える。ここで、「アイドル」の本来の意味を今一度確認したい。
アイドルは、「偶像」「崇拝される人や物」「あこがれの的」「熱狂的なファンをもつ人」を指す。英語(idol)に由来する語。稲増龍夫やカネコシュウヘイは、日本の芸能界における「アイドル」を『成長過程をファンと共有し、存在そのものの魅力で活躍する人物』と定義してい。
一般的な認識である「憧れの的」的な意味合いでも当てはまるが、月ノ委員長は『成長過程をファンと共有し、存在そのものの魅力で活躍する人物』という定義がピッタリだ。先の配信の中でも、ロリータ服には付属品であるパニエやニーハイソックスなど、主役の服以外に必要になるものが多く、これを知った時、初めて化粧をしたときのことを思い出したと委員長は言う。化粧も、化粧をする前に洗顔、化粧水、乳液、化粧下地…と必要なものがたくさんある。「その事実を知った時わたくしは絶望した。視界がぐにゃ〜ってなった。」と話す委員長。女性なら共感できるのではないのだろうか、この感覚。他にもエピソードとして他ライバーの配信で化粧にハマっていることを暴露されたり(https://youtu.be/ZhtUWyaXcbg)、可愛い部屋着をおそるおそる購入したことを他ライバーにバレたり(https://youtu.be/1a2WPNF2y24)、段々とオシャレに目覚めていく委員長を見ると、何故だかとても愛おしく思えてくる。それは多分、バーチャルライバー月ノ美兎ではない、等身大の女の子としての月ノ美兎が、見えないところでも人生を楽しんでいるのが伺えるからなのだろう。
◯
バーチャル世界のみならず、等身大の自分自身の人生も楽しみ尽くそうとする月ノ委員長。彼女の存在は、見ている者を退屈な日常から“まだ知らない場所まで”連れて行ってくれる力がある。リスナーはそれを見て、委員長の活動をただコンテンツの一つとして“受動的”に楽しむだけでなく、それこそ「やりたいことリスト」を作ってみたり、クリエイティブな委員長の活動を見て自分でも何か作ってみたりと、“能動的”に自身の人生も楽しもうという気持ちを抱く。これは現代社会にとって重要な関係性であると感じる。委員長の持つ「アイドル性」というのは、みんなの「憧れ」であると同時に、発信するメッセージによって受け取り側(ファン)の世界までをも変えてしまう。委員長がリスナーの手を引いて、見たことのない宇宙へ連れて行ってくれる。そういう意味でまさに委員長は「アンチ・グラビティガール」なのかも知れない。
(ライブ映像1:00〜)
今夜浮かんで宇宙まで
まだ知らない場所まで 君も乗せて
重力なんて知らない
ハリボテでもいい このまま
悠長な歌うたってさ これからのぜんぶも
笑いたい 笑ってたい 笑ってたい
笑ってたい!
ー『アンチ・グラビティガール/月ノ美兎』
*
終わりに
さて、長きにわたって月ノ美兎の魅力について書いてきたのですが…。もっと好きなエピソードもたくさんあったのだけど泣く泣くカットした。例に挙げている動画からも分かるようにまだ最近の動画しか見れていないので、もっと深くいろいろ知ってからの方が良い記事が書けそうだと思いましたが、初めて知ったときの衝撃だったり感じたことは今しか書けないかなとも思うので、衝動で書ききりました。アンチ・グラビティガールという言葉も初めて知ったし、無重力的な意味かなーと軽い気持ちで書いてたら、実際は「反重力」という無重力よりさらに深そうな意味で、「これは過去の委員長の葛藤なども配慮に入れるべきか…」とか考えたけどそれも今はいいや、と思いこのような形と相成りました。
委員長の人を楽しませる力、そして自分も人生を楽しもうとする精神に触れて、リスナーである私たちの日常も、楽しいものに変えていきたいですね。
どこまでも連れて行って!委員長!!
われらの狂気を生き延びる道を教えよ
昨日、今にも雨が降りそうな曇天の中、ふらりと散歩に出かけた。
ここでふらり、と書いたが実際はそんな軽い感じではなく、己の中の獣のような黒い何者かが暴れだし(こう書くと中二病みたいでかっこいいな)、その獣を沈めるべく、とりあえず外に出た、という感じ。
電車に乗り、たどり着いたのは神社だった。しかし別に、神社に来るために電車に乗ってきたのではなく、お金をおろすため入った銀行の近くに神社があり、なんとなくお参りしておきたい気持ちになったので向かっただけのこと。
意外だったのが、平日なのに結構人がいて、なんだろうと思ったら着物を着てる女の子とその親みたいな感じで家族づれがちらほらいて、あぁ、七五三シーズンなのかなぁとぼんやりした頭で理解して参道を歩いた。
少し前に雨が降ったのか、木々や石像がしっとりと濡れていて、神社ぜんたいが独特の静寂に包まれており、雨のまじった静謐な空気を吸って歩くうち、獣の暴走がだんだんと治まっていくのを感じた。
お賽銭に入れる金額は正式には決まっておらず、その時の自分の金銭事情を加味して、このくらいなら出せるかなと思う金額を入れれば良いっていうのを先日テレビかなんかで聞いたので、5円玉を賽銭箱に放って、二礼二拍手ののち、目を閉じ、心の中でゆっくりと、祈りの文言を唱えた。
「われらの狂気を 生き延びる道を教えよ。」
しばらく手を合わせながら祈ったのち、再び目を開け深々一礼をしてその場を後にした。
「われらの狂気を生き延びる道を教えよ」とは、今読んでいる大江健三郎の小説のタイトルだ。その中の話の一つに「父よ、あなたはどこへいくのか?」という中編小説があって、それを読んだのだが、ここ数年の自分、そして親との関係とが、非常にリンクした内容になっていて、ドトールで読みながら涙が出そうになってしまった。かなり複雑な話で、私もちゃんと理解できているとは言えないので詳しいあらすじとかは書けないのだけれども、作中の著書の言葉ー
いま、男はかれをとらえようとまぢかに迫った狂気をわけもつべき息子も、父親をも持たない。
かれはひとりで狂気にたちむかう自由をあたえられただけだ。
この言葉には、今まさに、己の中の獣が暴れだし、狂気に囚われそうでぎりぎり耐えている、そんな自分を慰めるものがあった。
私は自由を与えられている。後はどう考え、動くか。
しかし哀れにも気弱で心細い私は、静かに神に祈った。「この狂気に耐え、どうか生き延びることができますように。」と。