とある曲を別の解釈で捉えなおす試み
壊れてしまいました / バーバパパ
2021年10月29日にアップされたYouTuber「バーバパパ」氏の楽曲、『壊れてしまいました』。
この曲は、自身のパソコンが壊れてしまったという事実を受け、悲しみに明け暮れ(概要欄より引用)、制作したものと見られている。
しかし、私はパパ氏のPCが壊れてしまったという事実を知らずに聴いたため、全く違う解釈をこの曲にしていた。
バーバパパさんの新曲があがってる!
— 酒崎トオル🐑 (@doubututokani) 2021年10月29日
さっそく聴いた。
なんていうか、安易なものに堕ちていかないように抵抗しながら頑張って誠実に生きようと思ってても、周りにはグロテスクな善意や悪意に溢れていて身動き取れずしんどいみたいな人の心情を表すのがとっても上手いと感じた。個人的な感想。
改めて聴くと、まんまパソコンが壊れた曲じゃん、と思ったのだけど、じゃあ、私のこの曲に対する第一印象はなんなんだ? なんの情報もなく曲を聴いて、実際に感じたことは誤っているのだろうか。そして、サビ終わりの間奏のあのアニメーションにどう説明が付くのだろう?
歌詞を追いながら、"パソコンが壊れて悲しみに暮れていた"とは別の個人的な解釈を、つらつら書いていきたい。
いや、ただパソコンが壊れたって話なんかいい
— 酒崎トオル🐑 (@doubututokani) 2021年10月30日
*
暑すぎてご機嫌斜めなのね
グルグル回り続けて
秒針が響くだけ
この部分、アニメーションではパソコンがくねくね動くピアノとバイオリンに挟まれ苦しそうな顔をしている。これはパパ氏の別作品『思い出してEDMにしました』に出てくる3Dモデルで、おそらくこういったものがパパ氏のパソコンの容量を圧迫していて、それが故障の原因となってしまっていた、ということの表現なのかもしれない。“グルグル回り続けて”は、データを読み込んでいるときに表示されるあのぐるぐるのことだろう。
しかし私は別の解釈をした。(なんか始まったな) 楽器に挟まれ苦しんでいる表情をしたパソコンが「情報の波に溺れて、息苦しさを感じている現代人」に見えた。世は大サブスク時代。見なければならないもの、買わなければならないもので溢れている。そういうものを追っていないと「取り残されてしまう」様な錯覚に陥る。まるで同じテレビ番組を見ていないと話についていけないあの日の教室の様に。そういったものに「疲労」を感じて、辟易している人も多いだろう。かくいう私がそうなのだが、いやだからこそこういうナナメの読みを、この曲に対してしてしまっているのだと思うが。
前触れなく調子悪くなって
何故なの
面倒は増やさないでおくれよ
なぁ
“前触れなく調子悪くなって”とは、風邪とかそういった類のものではなく、もっと精神的な、現代病の代表である「うつ病」や「抑うつ」みたいなものと捉えた。(先ほどちょっと触れた大サブスク時代、スマホ時代からの流れもあり)さらに “何故なの”の後に女性の吐息が入る。(こういう演出はパパ氏の作品に今までなかったので新鮮だ。) ここではアンニュイで退廃的なものとエロティシズムが混ざり合って、独特の奥行きを醸し出していると感じた。
電源ボタン押して強制終了をするのもよし
壁に刺さったプラグ抜いてリセットするのもあり
現状に問いかけて自力で解決なんて無理
じゃあ
いっせーので321ではいgoの合図で行け
こことか、マジで現代の厭世的な雰囲気、ゲームへの逃避願望、(都市伝説などで語られる)仮想現実的な世界像を描いていますやん。
人生にリセットボタンはないし、強制終了では何も救われない、解決しない。ここではパソコンの逃避への願望(ニーチェの言葉を借りるとニヒリズム)を感じる。
あーーーーー
逝ってしまったんだ
再起不能に
なってしまったんだ
悪い夢なら醒めてくれ
サビが終わり、人の群れ?の中で荒ぶるパソコン。ここは現実か、はたまた悪い夢の中か。人々は次々生まれ、流れていき、炎に包まれ焼け消えてしまう。(それか闇に落ちていくか) このアニメーションを見て私はTwitterで呟いた「安易なものに堕ちていかないように抵抗しながら頑張って誠実に生きようと思ってても、周りにはグロテスクな善意や悪意に溢れていて身動き取れずしんどい」という印象を、この曲に抱いたのだった。人々は流されながら、抵抗もせず、火の中に入っていき、苦痛を味わうことなく消滅する。パソコンは唯一、この流れに抗っているように見えた。銃をぶっ放し、脳みそがはみ出ながらも、苦痛の表情を浮かべながらも。(どういう状況だよ) 彼だけ流れに逆らいながら銃を振り回している様子は、側からは狂っている様に見える。しかし彼は抗っているのだ、「壁に刺さったプラグ抜いてリセットする」ことや、「電源ボタン押して強制終了」することの持つ強い引力に。彼の心は壊れてしまったのだろうか。本当に、“完全に”?
どうにかこうにか頑張って
蘇生はできないものですかね
サポート保証は切れちゃって
知識は微塵もございません
(え? スマホも固まってしまった
時計も電池切れ?
邪鬼か? 邪鬼がおるわここに!)
ここはめちゃくちゃパソコンの故障を意味していますね。もう、そうでいいです。(投げやり)
始まる音ギリギリ耐えたのね
ありがとう
これ以上先に進まないけど
動き出した秒針が響いて
伝えた
邪鬼はここを後にしたようだ
最終的にはいつかこうなって
終わるとわかってたけど
困ってしまうから
せめて夢で伝えてくれ
永遠に朽ち果てぬやつがあればいい
永遠に
ここの切実さ、“朽ち果てぬやつ”という言葉の投げやり加減。朽ち果てない、つまり「死なない」「壊れない」ということか。永遠に。彼の悲痛な叫びは虚しく虚空に響き、最後は「もうダメ!」という顔をして暗闇に落ちてしまう。ここで深読みできる要素は、まぁ無いんですけど、結局彼が与えられている「苦痛」というのは、悪い夢の中の出来事なんかじゃなく「現実」で、その現実に「朽ち果てぬもの」はおそらく存在せず、自力で解決していくしかない、ということだろう。実際バーバパパさんはこの後、動画を月1ペースで上げ続けてるのでおそらく自力で解決できたのだろう。
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今の時代、コメント欄やTwitterなどを見ると感想や解釈で溢れている。賛同の多いものに「なるほど」と頷きそうになるが、解釈はいくつもあっていいと私は思う。そういう「空白」みたいなものを設けないと、私たちはどんどん息苦しくなっていくのではないだろうか。