キミは「わんたんマシーン」を知ってるか
DAME DAME DAME DAME DAME DINERO
ギミーギミーギミーギミー ギミーサムシング
色恋とか将来より 優先すべきは 生活!!!
ー『生活こんきゅーダメディネロ』/上坂すみれ
突然だが、「すわだチャンネル」をご存知だろうか。
長年インターネットの海に潜っている民はご存知だと思うのだが、私は最近存在を知り、その才能に、魅力に、どんどんハマってしまった。
その「すわだチャンネル」(このチャンネルに関する説明は長くなりそうだし複雑なので省く)でシリーズものとしてアップロードされている「わんたんマシーン」という映像作品を今回は紹介したい。
「わんたんマシーン」第二話の衝撃
「わんたんマシーン」は、犬のぬいぐるみ"いぬわんたん"が、さまざまな色や素材で装飾された乗り物"わんたんマシーン"に乗って登場するオープニングから始まる。
この動画は“第2話”となっているが、第1話はオープニング曲のみの動画なので、物語としてはこれが最初のお話である。
私はこの第2話『ギガわんたんドリル』に、軽い衝撃を受けた。
第2話『ギガわんたんドリル』
ある日、わんたんがいつもの様にわんたんマシーンに乗って道を走っていると、大きな障害物【BIG STONE】にぶち当たる。わんたんはマシーンを何度もうちつけ【BIG STONE】の破壊を試みるも、打撃だけではびくともしない。そこで突然『CREATE』の文字が大写しになり映像はわんたん宅に飛ぶ。そこにあるものはわんたんマシーンと、何やらマトリックスを思わせるコードの流れるパソコン。そしてわんたんが書いたのであろう文字で『岩をこわすやつを作ろう。』のテロップ。わんたんはおもむろに設計図を書き、何やら作り始める。「◯◯のやつを…こういうやつやな」とかなんとかボソボソ言いながら作業を続け、出来上がったのが「わんたんマシーン ギガわんたんドリルモード」という、わんたんマシーンの前部分に大きいドリルがついているもの。映像は再び【BIG STONE】がゆく手を阻む道に戻り、しかし今度はドリルがついてパワーアップしたわんたんマシーンがその前にある。わんたんがスイッチを押すとモーターが動き出し、ドリルが回転する。そのまま思いきり【BIG STONE】にスピードをつけて突進するわんたんマシーン。見事、【BIG STONE】は真っ二つになった。虚しく転がっている“それ”を機体の上で振り返って見ながら、わんたんは意地悪く微笑むのだった…。
…と、第2話のおおまかなストーリーはざっとこんな感じ。では、なぜ私はこの作品に衝撃を受けたのか。それは、このわんたんマシーン第2話のテーマ、そしてプロセス(過程、方法)が、「生活」そのものであって、これが「生きていく」ということなんだ、と、これは自分の人生経験と照らし合わせた時、実感を伴って感じたからである。
ここでいう「生活」とは、
せい-かつ【生活】
生存して活動すること、生きながらえること
ー広辞苑(第五版)
つまり、食事や睡眠、家事、労働など「生きていく上で基盤となるような行為」のことをいう。人間は何もしないで生きていけるなんてことは決してなく、日々小さなことから大きなことまで物事をこなしながら生きている。毎日習慣のように繰り返していると忘れがちになるが、この当たり前の様に思える活動の連続が「生きている」ということなのだ。
*
わんたんマシーンのゆく手を阻む【BIG STONE】、これはわんたんが乗り越えるべき障害物としてこのお話で設置されている装置だ。この【BIG STONE】が意味するものは、生活のあらゆる場面で立ちはだかる「課題」である。
・【BIG STONE】= 課題
そしてわんたんはこの「課題」を乗り超えるためにわんたんマシーンを自らの手でパワーアップ『CREATE』させるのだ。
・『CREATE』= 課題を乗り越えるための手段
→自らの手で修復/創造する(創意工夫する)
自らの手でわんたんマシーンをパワーアップさせたわんたんは、無事、【BIG STONE】を打ち砕くことに成功する。
すごい(わんたんマシーン)
うごく(わんたんマシーン)
*
のりこえてく
つきすすんでく
パワーアップしてく
(×2)
わんたんマシーン
ー『わんたんマシーンのテーマ』/いぬわんたん
上に書いたのは「わんたんマシーン」のオープニングテーマの歌詞だが、これが非常に素晴らしい。
歌詞は非常にシンプルで、たった5つほどの単語で構成されているにも関わらず、こんなにも「生活」を、そのプロセスと偉大さを、端的に表した歌詞はないと私は思う。
- 「のりこえてく」→ あらゆる場面に出現する「課題」を自らの手で工夫をしながら解決していく。
- 「つきすすんでく」→ 得意不得意関係なくあらゆる場面で創意工夫を繰り返し、挑戦をし続ける
- 「パワーアップしてく」→ 課題解決への方法や技術を自分のものにしていく
日常生活での応用と実感
映像を見た時の衝撃を「実感を伴って」感じた、と書いたが、この[課題→修復/創造→目標達成]というプロセスの重要さを、一人暮らしの生活の中で身にしみて感じるのだ。
例えば、家事。掃除、洗濯、料理と、1人で住んでいるとなかなかやることが多い。私は掃除も料理も別に好きではないので、最初はあまりうまくいかんかったし、今でも試行錯誤を続けていて「どうしたら安くて美味しい料理が作れるか」、「快適な暮らしやすい部屋にできるか」考えながら生活している。料理などは最初の方こそレシピを見ながらでないと作れなかったが、日々やっていくうちになんとなく「コツ」を掴めてきて既存のレシピをアレンジして自分なりの味付けにして作るという高等技術も身についた。朝ご飯を作る手際の良さや、手作りサンドウィッチの味など、自慢できるぐらいのものもいくつかある。一人暮らしをして2年ちょっと。未だに料理が好きか、というと「NO」と答えるし、得意なこととはとても言えないが、そういったことでも日々続けていれば続けた分、それなりの上達はある。
以前、このブログの様な文章を書く時に必要なiPadとワイヤレスキーボードの置き場所にいつも困っていたのでそれらを収納できる棚が欲しいなと思い、100均で部品を組み合わせて作れる棚やその他もろもろを購入し、見事いつも使っているテーブルの下に収まる棚が完成した。いつも邪魔になっていたiPadやキーボードが収納されたことで快適になった。
課題: iPadやワイヤレスキーボードの置く場所が決まっておらず、邪魔。
↓
創造: ラックを組み立て棚を作る
↓
目標達成: 机周りがスッキリして、作業がし易くなった。
スッキリとしたテーブル周りを見て、頭の中では「わんたんマシーんのテーマ」が流れていた。
のりこえてく
つきすすんでく
パワーアップしてく
*
最近、朝のウォーキングを日課にしていて、それがかなり続いているのである。まだ一ヶ月も経ってはいないが、運動ぎらいで三日坊主の私にとっては驚くべきことである。私はまず、新しいシューズとジャージを購入することから始めた。ウォーキングを始めるにあたり「課題」がいくつかあったのだが、1番は「見た目」だった。おそらく私のことなど誰も気にしてはいないと思うのだが、手持ちのダボっとしたスウェットで近所を歩く、というのが自分として許せないのだ。「運動不足で醜い自分」というのが強く意識させられて、外を歩くことへの意欲が消失する。この「課題」に対して、「まずは形から」という挫折する人がよくいう理論(?)がけっこう私には合っていて、かっこいいシューズやトレーニングウェア(そうはいっても大したものは買っていない。シューズはアディダス、ジャージその他はワークマンやユニクロで購入)がウォーキングを続けるモチベーションになっている。さらに、歩きながら飲めるように朝淹れたコーヒーを保温ポットに入れて持っていったり、音楽を聴くなど、気分を上げるための工夫をしている。
ウォーキングを始めてから、「太陽の暖かさが気持ち良い」や「空が青くて綺麗」などという感情が自然に湧いてくる様になった。その前までは明るいのが嫌いで晴れた空や夕焼けなどを見てもなんの心の動きも起きず、むしろうざったいくらいだったのだが、その色彩や空気を、歩くことで少し健康に近づいた身体で感知することができるようになった。『朝のウォーキングは素晴らしい。朝日を浴び、風景を楽しみ、元気になる』的なことを言ってる人を見ると内心「うるせぇ黙れ」と思ってたが(まぁ今も思ってはいる)、やはり「まずは、動く」ことが大切なんだなと身を持って実感している。
課題: ウォーキングのモチベーションを維持する
↓
創意工夫: トレーニングウェアー一式揃える。コーヒーを保温ポットに入れて持ってく。最近だと寒いので、出る前は暖房をつけ身体を温めてから外に出る。毎日しなければいけない等の決まりを作らない。etc...
↓
目標達成: 三日坊主にならず続けることができている。義務的にならず楽しくできている。前より健康的になったことを実感している。
のりこえてく
つきすすんでく
パワーアップしてく
*
あとこれはすあだチャンネル全体に言えることなのだが、映像からもわかる通り、すあだ氏は技術力が高いし器用な人なんだろうと思われるが、作品自体は非常に(いい意味で)チープなものが多い。完成度、満足感共にめちゃくちゃ高いのだが、なんというか、手作り感満載だ。撮影も編集も、小道具作りも全部すあだ氏一人で行っている。わんたんマシーンも何で着色されてるのか謎だが(ポスカ?)、プラモデルをキレイに塗装するためのスプレーとか本格的なものでないのは確かだ。なにかの配信で、わんたんの新しいゴーグルを百均で売ってる皮財布を分解して作っていたが、ゴーグルの形に裁断する際かなりフィーリングで切っていて「あ、そんなんでいいんだ」と思った。つまり、何が言いたいかというと、すあだ氏の動画から学べることは
「最初から完璧を目指さなくて良い」
SNSを見ていると様々な分野で一般の人が高クオリティのものを作ったりしていて、検索するとそういう動画だったり写真が沢山出てくる。ゲームの世界が顕著だが、今は世界中の凄腕プレイヤーの動画が簡単に見れてしまう。そして上手い人の上にはさらに上手い人がいて、きりがない。しかしすあだ氏の動画というのはいつでも自分のやり方・自分のペースで、やりたいことをやってフォロワーに楽しんでもらっているという印象。この、「良く出来た不完全さ」みたいなものが、自分が何か作ったり生活を営んでいく中で、ものすごく支えになっている。なにかに挑戦する際、それに対するイメージ(ネットで見れる他の人の技術や作品自体)と自分が実際にやってみる事 との間には大きな隔たりが存在する。その行為自体の「うまみ」みたいなもんはほんの1,2割程度で、あとはひたすら土台作り。(このブログもそう。書きたいことがあっても、いざ書き始めると理想としてたイメージがボロボロと崩れていくのを感じながらなんとか書ききる、という)だいたいそうだ。それが現実であり、「生活」なのだ。その「土台作り」の時点で心が折れそうになるとき、すあだ氏の存在や作品から得られるものにとても救われる。配信でゆっくりのんびり話すわんたん。しかし挑戦を続け、自分の手でパワーアップさせていく芯の強さには勇気付けられる。
(この動画でけっこうわんたんマシーン制作秘話を語っていた。いろんな映像作品を参考にしたり、機材が故障するハプニングに見舞われたりと、動画内で「編集で、もうなんか命を削った感じの、(寝転がって)クゥーーっ!って感じに最後なりました」と言ってるぐらい、大変な苦労をして動画を撮っていることが伺える。)
Q:クリエイティブな思考ってどうやって養われますか?
修理職人「まぁクリエイティブって言うと難しく聞こえますけども。だからクリエイティブなことしようって言うよりも、やっぱ気持ちを? やる。気持ちをこめてやる、っていうことが結果としてクリエイティブに、なると思う」
ー『【live】修理職人の日常』より一部抜粋
パワーアップしてく
SNSを見ていると、いい暮らしをしている人などが目に入って、つい自分と比べて嫌になってしまう。しかし自分の出来る範囲内で工夫して「自分の城」を築き上げていくのも案外楽しい。目に見えるものだけでなく、その"プロセス"にも目を向けること。そしてそれを楽しめるようになっていければ、ポジティブに「生」を実感できるのではないのだろうか。
私の好きな作品『ミッドナイト・ゴスペル』の中で、とても心に残ってるセリフがある。
「川の流れに身を任せると気付けるわ
愛と呼ばれるものが 自分を助けてくれると
経験してみないと気付けない "慈悲"ね
私が思いつく答えは"現実"ね
現実には慈悲の性質がある」
このセリフの真意は分からないが、なんとなく「そうだよな」とうなずけてしまう。"現実には慈悲の性質がある"。今、社会や仕事に嫌気が差して「現実逃避」したい人が多く居て、そういった欲求に応えるようなグッズが多く出てきているが、ただ見たくないものから目をそらし「癒し」を求めるなら、いま一度「生活」に目を向けて見ることも、疲れた心を癒やすきっかけになるのではと、私は考える。(私がここで言っている「生活」はいわゆる『丁寧な暮らし』とは異なることは言っておきたい。ああいったものは生活に余裕のある人がするものであり、なおかつ"不自然"な生活であると感じるからだ。そう、偏見です)仕事や人付き合い以外で、自分で手を動かして何かしてみる。すあだチャンネルを流しながら作業すると尚良いかもしれない。
日常の些細なことでも、挑戦し、乗り越えていくこと。これからもきっと、何か課題にぶち当たったとき、このわんたんマシーンの精神に支えられるのだろうと思う。
(写真: 最近焼き菓子作りにハマっている。焼き菓子作りは工程から焼き上がりまで慈愛に満ちている。好きな音楽やラジオを聴きながら材料を混ぜていると不思議と気持ちが整う気がする(スピリチュアルではないです)。出来たら食べれるし、オススメです。)