FiNAL DANCE ー頭にあるのは、後悔ばかり。

 

ーーー

SO  VERY VERY NICE

これ FiNAL FiNAL DANCE

孤独が運命さ

声を聞かせて 大きな声で

意味ないことを

GOING GOING GO  MY WAY

これ FiNAL FiNAL DANCE

思い出すのも

苦痛になるよ まぁいっかもう終点だ

明日には 忘れてる

FiNAL DANCE / BiS

ーーー

 

BiSの解散は後悔が多く残った解散だったのだろう。

そうでなければ、解散前ラストの曲がこんな歌詞にならない。

目指していた目標は達成されず、メンバーも脱退していきグループを続けることが難しくなった。

これまでの道は困難ばかり、恥や屈辱、嫉妬や憎悪、エトセトラエトセトラ…

 

 

「孤独が運命さ」

 

 

拒否してきたけどやっぱり寂しかった。

この広い世界で

なんとか気に入られようと努力したことも、

不器用だったため失敗に終わった。

無理が祟って動けなくなった

暗い闇の中 どうにもならない事に苛つきもがき続けた

その過程で何度も大切な人を傷つけたし 自分自身もすり減らしていた。

 

ーーー

To tell the truth,it's about to break.

I'm always sleepy and tired.

HiDE iN SEW / BiS

ーーー

 

全てが憎くて いっそいなくなってしまいたかった

ある日、

結局自分でしかないんだ、と分かった。

誰かに気に入られようとか

迷惑をかけてしまってはとか

そんなんじゃなく

自分が生きたい様に

自分の欲する方へ

周りにどう思われようと気にせず

自分勝手に

生きようと思った

生き抜こう、と思った。

 

 

ーーー

命は燃やしていくものだなんて

冗談だ ばかみたい

DiE / BiS

ーーー

 

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Wake Up Girls! の宝石の様な楽曲たち。ー輝きだけが、言葉の絶唱。

 

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ここのところ毎日WUGの曲を聴いている。そんな中で頭に浮かんだあれやこれやを文章にしたくなった。

今回はWUGちゃんの楽曲の歌詞(只野菜摘さんメイン)の考察、とまではいかない雑記、みたいな、特に胸に響いた歌詞を断片的に引用してコラージュしました、みたいな感じの記事になった。

WUGちゃんのことを最近知ったので、ほんとうに主観的な意見、と言うか感想でしかないです。しかも長い。

(アニメ未視聴、ファイナルライブのブルーレイ視聴済み。)

 

前回の記事→(https://hibino-note.hatenablog.com/entry/2020/08/02/173225)

 

ーーー

 

【はじめに WUGちゃんの楽曲について簡単に】

Wake Up,Girls!の楽曲は、音楽制作集団MONACAに所属する作曲家が主に楽曲を提供している。

MONACA(モナカ)は、主に音楽制作を行うクリエイター集団。

2001年にナムコ(後のバンダイナムコエンターテインメント)を退社し、フリーランスとして活動していた岡部啓一が2004年10月に設立した。

主にゲーム、テレビアニメ、テレビドラマ、映画の主題歌やBGMなどに楽曲を提供している。

(Wikipediaより引用)

作詞は、作詞家の只野菜摘、監督である山本寛(別名義で辛矢凡)が主に担当する。

 

ーーー

 

 

ー少女に寄り添う、優しいことば達。

 

『ゆき模様 恋のもよう』

作詞:只野菜摘 作曲:広川恵一

 

「大好きだ」が 散りばめられている街に

輝いて降り積もる 降り積もる

 

今朝も寒いねという 凛とする

 

無垢でいるため とぎすまされて私は

遠くで きみを想い 透明になっちゃいそうだよ…(①)

 

街路樹を 氷のモザイクが飾る下をゆく

決めたの


◯恋をする繊細な気持ちが、脆くはかない雪の結晶と重なる。恋する少女と冬景色の描写が美しい。

 (①)「無垢でいるため〜」の部分の表現、凄い。うまく表せなくて悲しいが。

 

◯書いていて気付いた事。最初と最後の歌詞「模様 恋するもよう」から「ゆく模様 恋するもよう」への変化。もよう(模様)には二つの意味があって、

 

模様(もよう)

1.図形及び色の組み合わせ

2.様子。ありさま。

 

最後の歌詞の「ゆく模様 恋するもよう」の模様は後者の意味で、きっとこの後少女は告白をして(行く模様)、恋がはじまるだろうという"予感"(恋する模様)、を感じさせる構成になっている。「街路樹を氷のモザイクが飾る」のような冬景色のうつくしい模様が散りばめられている中で、初々しい少女の恋もようが歌われる。タイトル通りきらきら結晶のような、美しい冬の曲。今の時期にぴったりでよく聴いてる。

 

*

 

『SHIFT』

作詞:只野菜摘 作曲:広川恵一

 

ネックレスみたい 街は

真珠色のスター・ライト

ばらまかれたヒカリは

簡単になんてつかめないよ

でも 雨上がりの舗道も 美しい夜… (②)

思わず 踊り出してしまうの

ああ それがすべてよ

 

いつかはタワーを眺めるソファーで

明日の台本 しぬほど読みたい

(ティーは ほうじ茶)

 

◯輝かしい世界に憧れる少女の曲。この曲はワクワクとトキメキがぎゅっと詰まってて最高。(②)「でも雨上がりの舗道も〜」のところなんかは画が浮かぶ様。

 

◯『地下鉄ラビリンス』(作詞:只野菜摘 作曲:広川恵一)も夢に憧れる少女の曲。田舎から上京してきたての少女の戸惑いと、少しの不安を歌っている。

   「満員電車それは人生の 縮図なのかな不安になる」

   「洗練されたい気持ち 迷路でこじらせた」

WUGちゃんの中には実際田舎から上京してアイドルの活動をしていたメンバーもいたから、リアルと曲(作品)が地続きになっている。

『地下鉄』も『SHIFT』も、メンバー1人1人のノンフィクションの物語の様だ。

 

*

 

『7 sences』

作詞:只野菜摘 作曲:田中秀和

 

チャンスひとつひとつ しなやかに鍛えたら

(虹の向こうへ)

逞しくなる 美しくなる

だからみんなすてき 違う役目があるんだ… (③)

 

『HIGAWARI PRINCESS』

作詞:只野菜摘 作曲:広川恵一

 

「嬉し涙 悔し涙

すべての あなたの涙

(光るアーカイブ)

顔をあげてまっすぐ進んでく今を

飾るブレスのよう

(真珠のナミダ)」

 

「がんばったねのヒロインに

舞台裏の勲章を

少し照れてる微笑みは

咲き誇る ばら色に

どんな小さな努力でも

プロフィールは嘘つかない

エアーのティアラがみえること

わかっている 私でいたい」

 

『スキノスキル』

作詞:只野菜摘 作曲:田中秀和

 

本当の恋なら 本当の愛なら

女の子は強くもなれる(おどろかせる)

悩みながら 歌いながら(いたずらをみせる)」… (④)

 

◯あらゆる困難を“しなやかに”、“歌いながら” 乗り越えていく少女たち。軽やかな足取りで。

「チャンスひとつひとつ しなやかに鍛えたら 逞しくなる 美しくなる だからみんなすてき 違う役目があるんだ」(③)

「悩みながら 歌いながら(④)

 

◯努力の結晶を「光るアーカイブ」「飾るブレス」と表現するのもときめく。優しい歌声で、可憐に歌い踊るWUGちゃんにぴったりだ。

 

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ーかなしみから、立ち直る。少しずつ。

 

言の葉 青葉

作詞:只野菜摘 作曲:岡部啓一

 

青葉は咲く 季節はかわっても

何度でも芽生える 力を持ってる

涙ふいた笑顔は花のよう

言葉にはできない

ただずっと 一緒にいよう

 

がんばってねと かんたんに言えないよ

言の葉と青葉の きらきらを あおいで

 

東日本大震災の復興活動として仙台を活動拠点にPRを行なっていたWUGちゃん。

この曲からは「再生」「何度でも生まれ変わる」と言う前向きなメッセージが受け取れる。何度でも芽生える青葉の美しさ。

 

*

 

雫の冠

作詞:只野菜摘 作曲:岡部啓一

 

かわっていくものたちと

かわらないもの うけとめる

そうね 輪廻

魂のようなものは続く

ぽと ぽと

雫がつくる冠が欲しい

 

◯『雫の冠』とは、一体どういう意味だろう、と思いメンバーのインタビューなど調べて読んでみたが、どうやら本人たちもその本当の意味は知らないらしく、人によって解釈が違うらしい。「かわっていくもの」「かわらないもの」「輪廻」などヒントになりそうな単語が散らばっている。人や環境、社会は流動的なものだ。かわっていかなければいけないし、どうあがいても過去のものは時間の経過につれ現在から遠く離れていく。かわらないもの、は自分の信念のようなものだろうか。故郷、家族、愛するひとへの想いとか。色々考えられる。「雫の冠」と、『HIGAWARI  PRINCESS』の歌詞にある「エアーのティアラ」は意味的に重なるところがある感じがする。

 

WUGちゃんの事に関して言うと

変わっていくもの→WUGの解散/それぞれの道

変わらないもの→WUGの活動の軌跡(アニメや楽曲などの作品、復興支援活動など)

 

そして、解散ライブでメンバーの永野愛理ちゃんが言っていた、

 

『こんな最高で、最強の7人はいないと思う。

いや、絶対にいない。

個性的な7人なのに、一つに魂が集まった時、世界一の輝きを放つグループ。

後にも先にも、こんな素敵なグループはないと思います。

今気付かれなくてもいい、5年でも、10年でも、20年先でも、「WUGって凄いグループだった」と、言ってもらえる自信があります。

 

と言う言葉。現に、私は解散後にWUGを知ったものだが、楽曲は未だ輝き続けていて人々の胸を打つ。

本当に良いものは風化しない。魂のこもったものは人々の心に残り続けるだろう。

 

◯「そうね 輪廻 魂のようなものは続く」

輪廻→何度でも芽生える青葉も想起させる。

 

雫にうたれて

心 まるくなってきたよ

だけど 悲しみは

ざわめき とがったままだ

 

◯繊細な言葉の表現とそのバランスが巧みで、すとんと胸に落ちるものがある。音の響きとも相まって、心地よく、安心する。

 

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ー少女から、大人へ。

 

『土曜日のフライト』

作詞:只野菜摘 作曲:田中秀和

 

土曜日のフライト チケットとプライド

信じて行かないと 証明をしないと

 

好きの裏側 憎しみで 大人にさせられても

少女たちはいつの日にか 卒業していく…(⑤)

 

忘れないで でも上手に忘れて

悔しい怖い泣きたい もうそのレベルじゃない

 

◯  (⑤)「好きの裏側 憎しみで 大人にさせられても」の部分が、最近実感として理解できたというか。個人的な話になってしまうが。

大人になることって、やはり楽なことばかりじゃない。子供の甘えが残っている自分は、このままでは大人になれない、生きていけないと気付いた。

大人になると言っても、年を重ねれば勝手になるものじゃなくて、個々人の中で壁にぶち当たり、社会に適用する様変容していくという段階がなければ、大人にはなれないんだと最近感じた。いつまでもそのままの自分で認めてくれるほど世の中は甘くはないし、「ありのままで」というけれど、中身は子供のままでは社会に相手にされないまま外側だけどんどん老け込んでいく。

 

*

 

少女交響曲

作詞:辛矢凡 作曲:田中秀和

 

本当に大事なものは いつも見える訳じゃない

だから今の自分信じて 未来を信じて

(You,Never never look back!) (和訳:決して後ろを振り返らないで!)

求める心あれば 悲しみも淋しさも

きっと 美しい景色に変わる

君と紡ぎ出す 透明なシンフォニー


◯先ほどの話の続きになるが、大人になる過程で、信じられるものは無条件に認めてくれる周りの大人や友人ではなく、自分自身だけなんだと思う。

物事の感じ方の違いで周りとぶつかる事がある。どう説明しても理解してもらえない事がある。頼るものがなくなると気持ちは不安定になり絶望してしまうが、少し立ち止まって考える。周りが何と言おうが、自分は自分なんだ。自分でしか、自分の考えていることはわからないし、挑戦して失敗/成功するのも自分でしか出来ない。分かり得ない。頼りないかもしれないが、自分を信じることだ。それが1番大事だと、最近ほんとうに思う。

人に相談する事がたまにある。困ったときは人に話すと良い、と言うが、そこで得られるものは、相手の言葉ではなく、“結局自分を信じるしかない”という事実のみだ。どうしても周りに流される。話しても話しても解決しない。答えは自分しか分からないからだ。

 

…めちゃめちゃ暗い話になってしまった。でもその分、と言ったらおかしいが、この『少女交響曲』には希望を感じるのだ。上に引用した2番の歌詞。

だから今の自分信じて 未来を信じて(過去は振り返るな)

求める心あれば 悲しみも淋しさも きっと美しい景色に変わる

これ、ほんとうに大名曲だと思うんですが、作詞した監督がnoteかなんかで小手先で作った曲だ、何で評価されてるのか分からないだのなんだのいろいろ言っててショック…。ただただ初恋の曲とそのまま受け取ったらあんましたいした曲じゃないかも知らんが、私が考えすぎなのか…? いろんな人の解釈とか感じ方とか聞いてみたい。(調べたけど作曲のことに触れてる感想がほとんどだった。あと恋愛ソングとしてしか受け取られていなかった)

 

以前のブログにも書いたが、田中秀和氏がおっしゃっていた、WUGの楽曲について「聴いている方たちを明るいだけの気持ちに引っ張っていく様にしない」という言葉、これはWUGの楽曲らしさに繋がる重要なテーマ?と勝手に思っている。「悲しみも淋しさも」、これは震災のことや、WUGちゃんのアイドル活動のこと、以外にも様々なことに当てはめて解釈する事ができると個人的に思いたい。自分に繋げて考えたいというエゴが出てしまってお恥ずかしいが…

私はまだ、「きっと美しい景色に変わる」の段階まで来ていないので、これはほぼ祈りみたいなものだが。求める心があれば、きっと、明るい未来があると。信じたい。

 

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だいぶ個人的な想いを含んだものなってしまった。気分を悪くされたらすみません。(誰に対しての謝罪?)

文章の感じでだいたい察せられると思うが、今、自分はかなり悩んでいる。悲しかったり淋しかったり、いろんな感情になって出口がない暗闇を生きている様な気持ちになる事がある。

しかしWUGちゃんの曲に励まされながら、何とかこうして文章を書いたり、美味しいものを食べたりして生きている。

暗い世の中だが、明るい未来を信じて行きたい。東京の空に星はないが、それでも、彼女たちが奏でる星空を支えにして。前を向いて。

 

*

 

 

 

 

 

最後に感謝を みせよう 贈ろう

綺麗な波長と 優しい笑顔で

最後まで演奏を 続けるこの船

強さがあなたに 届くと信じる 

 

一粒 星が残った

輝きだけが 言葉の絶唱(言葉の結晶/Wake Up,Girls!)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

町田康「人間小唄」を読んで

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最近、読書がしたくてもなかなか集中力が続かず、一冊読み終えることなく読んでいない本ばかりどんどん溜まっていく。

読みたい気持ちはあるんだけど…ともやもやしているとき、なんとなく本棚にあった町田康先生の「人間小唄」を手にとった。

これはもう何回か読んでいるのだけど、読み始めたらまぁ面白くてイッキに読めてしまった。

 

「…そんなとき、俺はひとりで運転席に座り、父と子と精霊について考えている。誰が子で誰が精霊なのだろうか。未無が父で俺が子で糾田が精霊なのだろうか。なんか違う、と思う。なぜ郵便局で爆弾を買えないのだろうか、とも思う。そしたらみんなもっと自由になれるのに。テロなんてただの心の昆虫だ。私はテロを怖れない。この後、和食処に行こう。」

 

口語文のようなリズムのある文章に、意味のない(存在しない)言葉の数々、展開の読めないカオスさ、などなどを、やっぱ凄ぇな〜頭ん中どうなってんだろ、と思いながら読み進めていくうち、ある文章に引き込まれた。

 

町田先生の小説の特徴として「急に本題に入る」というのがある。さっきまで意味の分からない事を言ってたのに、急に、この世の「真理」のようなものをつらつら語り出す。「あれ?もしかして今、めっさ大事なこと言ってない?」と。読者を混乱させてくる。『人間小唄』でも、その町田康節が炸裂していたのでここに引用する。

 

ーーー

 そしてその、消費者の感情・感覚の根本にあるものはなにか、というと、恐ろしいことに、そこにもまた、猿本がいる。或いは、猿本的なるものがある。

「生きて生きて走っていくこの旅 

 それは老いたる桜の樹

 曲がりくねって瘤もあるが

 空に向かってすくと伸びる(以下略)」

 というのは、猿本丸児が政府系機関が主催した大規模なイベントの主題歌のために書いた『大樹を生きる』という曲の歌詞である。空疎極まりない歌詞であるが、多くの人民大衆は、大御所、といわれるベテラン歌手が歌ったこの歌詞をシリアスなものとして受け止め、人生の、なんとなくの、指標・指針、としている。

 そのような人が、なんとなく耳障り、目障りがよい、としているものを猿本は凡庸な感覚で作っている。 

 そのことが何を齎(もたら)すかというと、感受性の堕落のような劣化、である。そして、その堕落するように劣化した感受性に基づいて作られたものに影響された感受性に基づいて作られたものは、堕落した感受性に影響を及ぼし、その劣化した感受性に基づいて作られたものがさらなる感受性の堕落を招き…、という泥沼に全国民が嵌っていく。

ーーー

 

「猿本」というのは作中で人気アイドルのプロデューサーをしている人物なのだが、今は話の筋の方は置いておいて、この文章を読んでまず思い浮かんだのは、「ポカリのCM」問題だ。

 

確か何週か前の、金曜ロードショーの合間に流れたCMが端を発したと記憶しているが、「ポカリスエットのCMが嫌いだ」という声がTwitterに多く投稿され、一時トレンド入りした。私はそれを見て驚いた。

というのも、私はかつて放送されていたカップヌードルのCM、「アオハルかよ。」がキャッチコピーのアニメーションCMが反吐が出るほど嫌いで、普段マスメディアに対して直接的に意見を言うことのない私だが、これに至っては本社に抗議のメールを送ろうかと思ったほどだった。同じような理由でシーブリーズのCMも嫌いだった。その時は物理的に反吐が出た。

カップヌードルのCMの方はワンピースのキャラクターを起用していたので、きっとみんなこのCM好きなんだろうなと思ってみていた。だから余計嫌だった。

私は青春時代の亡霊、いわゆる「青春ゾンビ」(©︎穂村弘)で、ポカリスエットの提示する様なキラキラした「青春」を未だに夢見ている残念な大人であり、こういった類のCMをなんら違和感を持たずに見ていられる人たちはきっと充実した、素敵な学生生活を過ごし、「青春サイコー、マカロンです」って感じなんだろうなー、嫌だなー、っつって思ってたら。件のポカリのCMに寄せられたTwitter民の投稿の数々。

 

あンれ、私だけじゃなかったんかいッッッ!!

 

そうやって拍子抜けしたわけだけども、私がこの類のCMを嫌う一番の理由は、自分がそういう学生生活を送れなかったことへの妬み、ではなく(まぁそれもあるだろうが)、『人間小唄』で先ほど引用した文章で説明されている。

 

作中で「猿本」という人物は、大衆にとって耳障りの良いものを世に出すことで、表面上はそれで良いのかも知らんが、重要なのは、そのことによって国民の無意識に影響を及ぼしてしまっている、というところである。この、「無意識に影響を及ぼして」しまっているのが、ポカリのCM、ということになる。

ポカリのCMには「若さってイイね!!」「努力するって素晴らしく気持ちのイイことだよ」「限りある学生生活、ナニかに打ち込んだ時間は一生の宝物!」みたいな価値観、青春こそ至高のものだ、という価値観を無意識に見ている側に刷り込ませる効果がある。ポカリスエット以外にもそういった広告は多数存在し、サブリミナル的に意識下に、メディアが/上の地位にいる大人が決めた価値観を刷り込ませている。

 

まあまあ、メディアが提示する「青春」に、憧れるのもテメェの勝手だし、後々物事の分別がつくようになった頃「まぁ自分はこんなもんでいいかな」ってちゃんと気付ける聡明な人だったら別に問題はないだろう。しかし、画面に映るキラキラしたものに憧れ、未来に希望を持ってしまう若い人々はどうか。そして、現実が希望通りにならなかったことへの落胆、さらにはキラキラの中に入れなかった自分は駄目なんだ、という必要のない劣等感をも生み出しかねない。てか実際問題そういったことが現実世界で起こっているとは思う。ひきこもる人々は、コマーシャルが提示するキラキラに、入れなかった人達の姿なのではないだろうか。キラキラの世界の住民は実はほんの一部で、現実はわりと地味に過ごしている人のほうが大半かもしれない。そう思う。

この前、Netflixオリジナル『ミッドナイトゴスペル』を見直してたら、「希望は苦しみの原因」というセリフが出てきて、確かになぁと納得した。

 

人生の意味は至る所にある。楽しめる場所、自分の居心地の良い空間はコマーシャルの提示するところ以外にたくさんある。

はたから見たらダサかったり、ツマラナイものでも、磨いていったらかけがえのない生涯の宝物になることだってある。『桐島、部活辞めるってよ。』で神木隆之介くんが演じた高校生のように、他人にどう見られてるかなんて気にせず、自分のやりたいことに打ち込むのも良い。学生時代にやりたいことが見つからなくったって、それもそれで良いんだし。

 

ポカリのCM以外にも、これは最近本当に遭遇するたび気分を害しているのだが、Youtubeでのダイエット商品や脱毛サロンなどの広告も、そういった無意識への害悪だと思う。女性は日々メンテナンスをして美しくなければならないという価値観の押しつけ。意見がマジョリティでもマイノリティでも、所詮はおっきく見た世界の話で、実際自分の身の周りにいる人とそのパーセンテージは一切関係がない。これがなかなか、理解しようと思っても難しい話なんだけど。

 

この間、Twitterで話題になっていた、刃物メーカーの貝印の広告。これは先進的だと思った。"剃毛や脱毛に関する価値観の多様性を表現した"という広告には、「ムダかどうかは、自分で決める。」というキャッチコピーと、腕を上げて肘を持ち、脱毛をしていない脇を見せ凛々しく立っている女性の写真が。(この女性は実在する人物ではなく、精巧に作られたアンドロイドらしい) Youtubeの広告とは正反対の、ちゃんと現実にピントが合っている素敵な広告だ。

 

*

 

もう令和なのだから、古い考えは駆逐され、貝印が提案するような先進的な価値観が広まり、マスから個の時代にシフトしていって欲しい。これからの若い世代のために。キラキラした希望に苦しめられることのないよう。

 

 

P.S 物語の中で作家の糾田が、ラーメン屋を開店する、っていう件があるんだけど私はそこがめちゃくちゃ笑う感じになっている。

最初はスーパーから盗んだ即席麺を屋台で売り出して繁盛するんだけど、こんだ、餃子も共にこれ供することになり、その途端たちまち上手くいかなくなってしまうのだが、その時の糾田の描写が、もう。しかし、父親にこの小説を勧めたのは明らかに間違いでした。

 

 

 

 

 

 

 

日記

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書こうとしていた記事が煮詰まってしまった為、今回は普通の日記を書こうと思う。

最近は、真空ジェシカのギガラジオばかり聴いている。ほぼ内容なんて無いので、ストレス無く永遠に聴けてしまうのが魅力。

一回分の放送で30分〜1時間程度、どの回に何を話していたのか(内容なんてあってないようなものだが)を仔細に手帳にメモをせっせと書いて溜め込んでいる。これはいつか、人にギガラジオを布教する際に使おうと思っている(自分が聴く用でもあるけど)ものだが、そんな日は永久に来ないのであって、ラジオ内で川北がたまに言う「人生であっこの時間いらんかったなって思いたくない」って言葉、まさに今こうしてメモしている時間は何になる?とか考えてしまうけど、まま、いいでしょう。何より楽しいんだし。

 

リスナーからの「ネタ合わせは何処でするのか」という質問に対し、

川北「カワマタ(相方)の腕の中、ですね。『境界線みたいな身体が邪魔だね』(※)って言い合いながら」

メモから一部抜粋。綺麗に気色悪くて、おもろ、と思いました。

 

(※)川本真琴「1/2」の歌詞

 

*

 

Twitterに、「人との"別れ"を経験したことが無い為、別れの歌が全く響かない」という旨のツィートをしようと思って(暇だな)ふと気が付いた。

私にもあったのだ。別れが。別れの曲が。

BISHの『オーケストラ』という曲。前にブログでも書いたが、私はあの曲は超名曲("超新塾の"イントネーションで)だと個人的に思っていて大好きなのだが、あれも別れの曲だ。それで思い出した。過去に別れた友人、そして今後もう会う事は無いであろう友人のことを。

今でも時々思い出す、その友人のことを私は好きだった。相手はどうなのか、正直わからないけど(あんま考えると寂しくなる)、見上げたあの夜空に、浮かぶ星たち、ふと君の声が。あの頃、輝いてたかな。今になっては、ずっと、わからないまま………

って感じなんだけど。

なんとも、別れというものは、悲しいね。今では繋がりなんて、あの、クソッ、…空だけ。

 

*

 

アニメ『日常』をなんとなくNetflixで見ていた。

テレビ放送されていた頃は正直、OPだけクソ好きだけど内容はそこまででも無く、見たり見なかったりって感じだったのだけど、今になって見ると、なんて言えば良いんでしょ。凄い。構成、演出、声優。凄い。

「焼きサバ」の回を久しぶりに見て、なんか、圧倒された。

 

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お話としては、みおがゆっこに"焼きそば"買ってきてと頼んだはずが、ゆっこが勘違いして"焼きサバ"(単品)を買ってきてしまったことにみおがブチギレ、言いたい放題言う みおに対しゆっこも逆ギレして大喧嘩、っていうしょーもないものなんですが。圧倒された点としてはなんといってもスピード感。

 

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焼きそばだよ!!‼︎‼︎‼︎!!」 「アルゼンチン、ペソしかないよ!!!‼︎‼︎」などパワーワードが続々飛び出し、息つく暇もない程怒鳴り狂うふたり。巻き添えに合う生徒。ひっちゃかっめっちゃかやった後、お互いの良い所を互いに照れながら言い合う急展開になり、最後はふたり力強い握手を交わして終わる。

怒鳴り合う2人の声優さんのカロリーエグいし、展開や小ネタはどれも斜めからの発想で笑ってしまう。ただの高校生の昼休みのちょっとした喧嘩に、こんなに振り回されることってあるだろうか。まるでジェットコースター、あ、霜降り明星粗品が『日常』のOPを担当したヒャダインの楽曲について「ジェットコースターみたい」と例え、「自分らもこういう漫才がしたいって思った」と言っていたのを聞きしもふりの漫才のルーツはヒャダインの音楽か、と妙に納得したが、そう、そのジェットコースターのように目まぐるしい、それが、「焼きサバ」回。(あ〜、何が言いたかったんだ)

 

*

 

その昔、さよなら、また今度ね。というバンドがいた。

大好きだったが残念ながら解散してしまったこのバンド。たまにふと聴きたくなって、聴くと、今でもキュンキュンする。

 

 

彼女との何気ない日々を歌った曲が多かった。どの曲もかわいらしくてでも少し切なくて。

夕暮れとか、帰りみち…解散しているバンドだから、ってのもあるかもしれないけど、過ぎ去った日常、みたいな哀愁をどの曲にも感じる。

記憶の中の君を思い出しているような。

 

ーーー

たまには思い出してね

今日1日だけのことを

世界でたった2人だけさ

未来世紀まで秘密さ

(クラシックダンサー/さよなら、また今度ね)

ーーー

 

*

 

イラストに力を入れた割に、大した内容じゃなかったね。ごめんね。

 

 

 

 

「だって君も僕を照らすポラリス」ー震災後に生まれたアイドル WakeUp,Girls! が紡ぐ"星座"、そして未来への"希望"


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Youtubeのオススメに突然出てきた、知らないアイドルグループの曲。

Wake,up!girlsの「恋?で愛?で暴君です!」。

アニメに疎いので全く存在も知らなかったのだが、作曲が田中秀和氏ということもあり、ハマってしまった。

本当にいい曲ばっかりなのだが、今回は「Polaris」という曲を軸にWUGちゃんについて書きたい。ちなみにアニメ未視聴、解散ライブの映像のみ視聴済。

 

Wake up,girls! とは】

 Wake Up, Girls!(ウェイク アップ ガールズ)は、女性声優7人による日本の声優ユニット。略称「WUG(ワグ)」

 2012年9月10日に、企画が発表される。主役7人の声優は「81プロデュースavexが共同でオーディションを行い、プロダクションに所属していない一般人から選ぶ」と発表され同年9月10日から12月15日まで「avex×81produce Wake Up, Girls! AUDITION 第2回アニソン・ヴォーカルオーディション」が開催された。監督の山本寛は自ら企画を立ち上げたとしている。また、折からの東北地方太平洋沖地震東日本大震災)の発生を受けて東北地方を舞台としたとしている。(Wikipediaより引用)

 

*

 

WUGの楽曲は、アニメの舞台が東北だということ、さらに東北出身のメンバーもいることから、震災や故郷を想起させる歌詞が見られるのが特徴だ。

 

「言の葉、青葉」(2015)

 

言の葉、青葉

 作詞:只野菜摘/作曲:岡部啓一(MONACA)

 

歌を歌って みんなで歩いた

それが希望を 結ぶものだった

うつくしい街と

無邪気にはいえない

そこにある かなしみを

知ったから

 

青葉は咲く 季節はかわっても

何度でも芽生える

チカラを持ってる

涙拭いた 笑顔は 花のよう

言葉にはできない

ただずっと 一緒にいよう

 

がんばってねと

かんたんに言えないよ

言の葉と青葉の きらきらを

あおいで

青葉は咲く 季節はかわっても

何度でも芽生える

ちからを持ってる

涙ふいた 笑顔は 花のよう

言葉にはできない

ただずっと 一緒にいよう

 

 

「海、そしてシャッター通り」(2019)

 

海、そしてシャッター通り

 作詞:只野菜摘/作曲:高橋邦幸(MONACA)

 

北風吹く 海 そして歩く シャッター通り

記憶の幻 夏祭りの音 夕餉の支度の匂い

今ではもう使われていない電話番号 シャッターのなか

月日が積もる 棚やミシンに 埃が舞うこともなく

扉 動きを止めた

 

錆びない思い出を抱きしめるように

ひたすらただ歩く 懐かしい 愛おしい 私の街

コートのマフラーに 初雪ひとひら

光よ 照らしてよ

あの日を笑顔のままで 眠らせて

 

フードのその陰に 涙がひとひら

たいせつなものたちの面影よ

ずっとずっとしあわせに

 

そっと 眠って

 

 

田中秀和氏がインタビューで、

「僕たちは『WUG』の楽曲について、"ただ明るいだけの曲"を制作していないのは事実です。僕たちが『WUG』の曲を作る時に、聴いてくれている方たちを"明るいだけの気持ちに引っ張っていく"ようにしないことが、『WUG』の楽曲らしさにつながっている」(※)

とおっしゃっていた。

確かに引用した曲からも分かるように、東北という地がただ美しい場所ではなく、暗い記憶を持つ土地であることを踏まえて、詩が書かれていることが窺える。

 

*

 

そして、メンバー7人が作詞を担当した『Polaris』について。

復興のために様々な活動を行なってきたWUG。この曲はWUGの、そして楽曲制作チームMONACAの、集大成的な名曲と言える。

Polaris』の作詞はメンバー自らが行なっており、実際に震災の被害にあったメンバーも作詞に参加し、実体験が詞に反映されている。

冒頭Aメロから「街明かり消えた夜 誰を頼ればいいの?」と、震災時の街の様子を歌っており、その後も

不安とかイライラが 闇を作り出す

君と見た景色さえ 黒く塗りつぶされて

楽しいも嬉しいも 波がのみこむの

といった暗い詞が続く。この先どうなるのか分からない不安、故郷が失われていく絶望、今までの想い出を一瞬でさらっていった津波

しかし、サビに向かうに連れ歌詞が明るくなっていき、この曲に込められた意味ーWUGとファンの関係について歌った曲であることーが明らかになっていく。

曲が終わりに向かっていく頃には、もう前しか向いていない。未来へ向かって走り出す。WUGが繋ぎ、導いた先には…。

 

 

ーー『Polaris』は北極星。その近くで輝くのは北斗七星。『Wake Up, Girls!』は7人。そういうところも意識したり?

吉岡:実はPolaris』の歌い出しのフォーメーションを上から見ると、北斗七星の形になっているんです。そして、見てくれているお客さん一人ひとりが北極星という立ち位置。サビの最後のフレーズに「だって君も僕を照らすPolaris」という歌詞があるんですけど、皆さんが私たちにとっての『Polaris』であり、その逆も然り。そういう意味での『Polaris』なんですよね。

 

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( 画像引用

 :「yahooきっず 図鑑-星座-春の星座」https://kids.yahoo.co.jp/zukan/astro/spring/0001.html )

 

ーー『Polaris』を聴いていると、『WUG』からファンの方々へのメッセージソングという印象を受けました。今までの活動を振り返って、多くの人々への感謝を楽曲で表現したというか。気になったのが1番の歌詞は敢えて重たいフレーズが続きますよね?特に永野さんのパートが印象深いです。

永野:私が『Polaris』の歌詞に入れたかったのは、仙台や東北のことを『WUG』は絶対に忘れていないということなんです。この想いは歌詞の中に入れたいなって。歌詞の内容的に(震災を)体験している私だから入れられる言葉があるなって。

ダイレクトではないかもしれないけど、そういったものを私だけじゃなくて、7人全員が持っている。この想いをまゆしぃに託しました。

吉岡:愛理からその意見を聞いて、いろんなフレーズを出してもらったんです。この歌詞は愛理が歌うからこそ意味があると思っています。曲の流れを大切にしつつ、想いをしっかりと届けたいと。

ただ、特にここは愛理とすごく吟味した箇所ですね。誰かを傷つけることになるかもしれないと考えたりもしました。

青山:私も歌詞を「闇」にするか「波」にするかで、まゆしぃから相談を受けました。でも、直接的過ぎるから「闇」の方がいいんじゃないかと考えつつ、私には何も言えませんでした。これはあいちゃんや香耶にしか分からないだろうなって。『WUG』というユニットや作品が誕生したコンセプトがそうであったように、ここであいちゃんがこの歌詞を歌うということに意味があると思っています。早く皆さんにライブでも届けたいです。

 

( インタビュー引用:『Wake Up, Girls!』が語る『Polaris』の意味――「仙台、東北への想い。ワグナーへの想い」【WUG新章・バックステージ#12】

https://www.animatetimes.com/news/details.php?id=1515390788 )

 

 

*

 

WUGは解散してしまったが、これからも沢山の人々の中で名曲が輝き続けるだろう。

グループが無くなっても、曲に込められた想いは残り続ける。

 

"絶望は希望の種 前を向き祈り捧げるよ"(Beyond the Bottom)

 

WUGの楽曲たちはキラキラ宝石の様な曲ばかりだが、特に『Polaris』は、アニメ音楽という枠を飛び出し、多くの人に聴いて欲しい名曲だと感じた。

 

 

 

Polaris(2017)

  作詞:wake up,girls / 作曲:田中秀和

 

キラキラキラ輝く

未来と今ツナグ Twinkle star

キラキラキラ届けて

終わらないよ ボクら Dreamer

 

街明かり消えた夜

誰を頼ればいいの?

不安とかイライラが闇を作り出す

 

君と見た景色さえ

黒く塗りつぶされて

楽しいも嬉しいも波がのみこむの

 

諦めて逃げたくなった天に

確かに光る星たちのパレード

一番星めがけ駆け出そう

 

キラキラlucky lucky 奇跡が

ボクを導いてく

ずっと先のなん億光年も

輝ける思い出のように

こぼれ落ちた涙は 流れ星に変わるから

我慢せずはきだしちゃえばいい

だってボクは君を照らす Polaris

 

君と夢を語って

お揃いのシュシュつけて

離れないようにかたく

結んで絡まり

 

すれ違い 迷子になってた絆

確かめるように鳴らすファンファーレ

再びリズムが飛び跳ねる

 

キラキラlucky lucky 聴かせて

君の笑い声を

信じた数だけ大きくなる

つながれば一つの絵になる

まだ目覚めない夢が 永遠に続くならば

振り返らず進むだけでいい

だってボクら君を照らす Polaris

 

キラキラキラ輝く

未来と今ツナグ Twinkle star

キラキラキラ届けて

終わらないよ ボクら Dreamer

 

つながって

みちびいて

輝いて

 

ひと粒の瞬きが ボクを導いてく

ココロから憧れた世界

満点の星空になる日まで

 

キラキラlucky lucky 奇跡が

永遠に続くならば

振り返らず進むだけでいい

だって君もボクを照らす Polaris

 

(lalalala...)

 

キラキラキラ輝く

未来と今ツナグ Twinkle star

キラキラキラ届けて

終わらないよボクら Dreamer

キラキラキラ輝く

世界中のかけら集めて

キラキラキラ届けて走り出すよ dear my future

つながって

みちびいて

輝いて Uh〜

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

P.S Twitterに載せたPolaris衣装のまゆしぃをこちらにも載せます。

 この衣装、すごく素敵ですよね。スカートがボリュームあって、でもストンと綺麗に落ちていて上品な感じ。

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(※)インタビュー引用→https://www.animatetimes.com/news/details.php?id=1514184832

六月ー習作

 

今日も貴方の事を考えている。

 

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恋をしないではいられない。

 

*

 

さまざまなものが

さまざまなところへ

さまざまな者が

あるべきところへ

在るべき と 宛てたい

 

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*

 

人はみな

哀しい檻の中

折を

祈りに

変えられるだろうか

 

誰もが祈り

紫陽花の 幻想に 降り

 

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*

 

原因不明の 恐ろしい この病よ

「ヘルプミーヘルプミーヘルプミー」

 

*

 

「そうですとも、誰の罪でもありません、人生、思いが間に合うときには何事も起こらなくて、何事か起こった時には思いが間に合わないものです。一切罪なしと死者(ほとけ)さまもきっとそう思ってられますよ、そんなに辛くなさらないでください、」

 

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*

 

並木道の木漏れ日を見ている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私が書いた歌詞ですよといいたいー『オーケストラ/BiSH』

 

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歌詞の中に凄く良いフレーズがある楽曲に出会った時、「これ、どうにか自分が歌詞書いたことになんねぇかな」と思うことないですか? 私はあります。自分が書けるはずないのに。

 

 

BISHの「オーケストラ」もそんな曲のひとつ。

 

 

作詞はBISHのほぼ全ての楽曲の作詞作曲を手掛ける松隈ケンタ氏。

アメトーークの「BISHどハマり芸人」で初めて知ったこの曲。

 

ーーー

こんなにも流してた涙も 語る声も オーケストラ

ーーー

 

涙や声をオーケストラの演奏に例えたところが、今風に言うととても「エモーショナル」だなと感じる。いや、オシャレか‼︎ アイドルの曲らしからぬ。

オーケストラって、喜びよりむしろ悲しみのイメージを想起させる。ヴァイオリンの、むせび泣く様なあの独特の音色。アイナ・ジ・エンドさんのハスキーな歌声も相まって、さらに泣かせてくる。

2番サビ終盤の「永遠にこんな日が来るなんて」という歌詞も、よく考えると「永遠に」「こんな日が来る」と続くのは日本語として少し違和感を感じる。想像もしていなかった日が来てしまった、しかもこれが永遠に続くんだ、という、絶望に近い悲しみを感じる。

 

『オーケストラ』から入って、他にもBiSHの曲を聴くようになった。

 

 

 

『Nothing.』

 

 

モモコグミカンパニーさんは詩人だ。

輝かしいステージの裏にある、内面での葛藤、上手く行かないもどかしさを歌詞で表現している。

 

ーーー

妄想のなか僕は

あのステージの上で

いつも歌い続けてるのに

一人殺して欲しいような夜

あの日の夢見てる

あぁAll night long

ーーー

 

アイドルをみていると、自分もあんな舞台に立ってスポットライトを浴びて…とついつい妄想してしまうものだが(私だけ?)、実際に人前でパフォーマンスをする事を生業としているアイドルでさえ、この歌詞のように独り煩悶することがあるんだと驚いた。アイドルは遠い存在だと感じてしまうが、同じ様に悩み、死にたくなる夜があるんだと知るとグッと近い存在に感じる。

 

 

 

『本当本気』

 

 

これもかなり好きだ。MVも「エモ!」って感じ。アユニ・Dさん作詞。

 

ーーー

【Aメロ】

(1)

もうやりたいことやれずに ああいつになったらやりますか?

学校でやってやるんです seventeen まだ seventeen

ああ消したい事殺れずに じゃあいつになれば殺れます?

大きくなって求めるんだ seventeen まだseventeen'S OK?

まだseventeen

(2)

言いたいことも言えずに じゃあいつになったら言うんですか??

会社で言ってやるんです twenty もうtwenty

死にたいことも癒えない じゃあいつになれば癒える?

大きくなって求めるんだ twenty もうtwentyだった 

だってtwenty

 

【サビ】

本気出すのは今では無い 嘘じゃない 知ってた?

脳ある鷹はね爪隠すの

頭がおかしくなっちゃっても クズじゃない 知ってた?

ここでやめちゃだめでしょ to die or 生

ーーー

 

こんな歌詞、同世代の女の子なかなか書けないんじゃないだろうか。 アユニさんも引っ込み思案気質だろうから、自分の中で抱えているものを歌詞に昇華できるタイプの人なのかも。

1番の "seventeen まだ seventeen'sOK?" から、2番の "twenty もう twenty だった" って歌詞の変化、突き刺さってくるな、ツラい。

いつかやってやる、と言うだけ言ってなにも出来ず、気が付いたら大人と言われる年齢になっていた。それでもまだ本気を出していないだけ、と現実から目を背け続けているのがこの歌詞から分かる。

「まだ本気出して無いだけ」って言い訳するの、若者の通過儀礼的なものだと思うんだけど、この曲でアユニさんは"ここで寝てちゃだめでしょ to die or 生''と「本当に何も言わないままでただ生きて死んでくの?」とこちらに問いかけてくる。

加入したての、歌も踊りも未熟だった頃の自分を叩いていたファンを見返すような「みんなが僕をバカにすんだ ナメんな」が爽快でカッコいい。



 

『VOMiT SONG』

 

リンリンさん作詞。この子もいくつか作詞をしてる。

 

ーーー

満たされたけどほんの一瞬で

最寄りは孤独へとなる 街である

戻りたいな の ループ

ーーー

悩みは老けてゆくけど内面は

子供の景色をただみてる

ーーー

 

 

"悩みは老けてゆくけど内面は 子供の景色をただみてる"って表現、よく思いつくなぁ。

内面は子供の「景色」をみてるというのが、子供の無垢さとか、何も知らなかった頃の純粋さ、そしてその「景色」を、頭ばかり使って疲弊しているもう大人になってしまった自分が渇望している…。身に覚えがある。アユニさんもそうだけど、10代から大人になる頃の微妙な心の変化、っていうのを言葉にするのが巧いなと、同世代から見ても思う。

 

*

 

そんな予定では無かったが、歌詞にフォーカスを当てた内容になった。パフォーマンスが格好良いのはユーチューブ見れば分かるので。

ばははい